20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「永遠のジュークボックス」は、ジェンセンの安物ワイドレンジでロカビリーに目覚めた経緯を書いています。
永遠のジュークボックス
【因縁の対決】
【Jensenの歴史】
【ジュークボックス解体新書】
【イギリス病を解決した立役者】
【ローファイの王者】
【基本はモノラル】
【トラウマよ、さらば】
冒険は続く
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


永遠のジュークボックス

【因縁の対決】

 そもそもの話、ロカビリーが好きになれなかった。ともかくエルヴィスを天才と讃え、ビル・ヘイリーやチャック・ベリーの曲をかければロックンロールの創始者について解説したがる。そういうのが気に入らなかった。しかし、自分の中では、どこか心の底で引っ掛かっていて、食わず嫌いな感じがして、それさえも嫌悪感にまみれていた。
 ここ数年は1960年代のロックやR&Bと対決してきたが、ようやく1963年のビートルズ革命以前との繋がりに手が届きはじめたところである。そもそも、このサイトを始めた最初の時期から、録音のラウドネス効果の問題に取り組んでいて、古い録音は中高域の立っている特性が基本だと主張してきた。それが一度はフラット指向に戻ったのであるが、ここにきて思いがブレている。

 まずは1960年代との対決の際に悟りを得た特性。デジタルアンプでニュートラルに鳴らした状態で、中域の程よい盛り上がりとシルキーな高域が特長である。

Jensen C12RElectro-voice 205-8Aをデジタルアンプで鳴らした特性(斜め45度からの測定)

 ところがこれのJensenの12インチ部分だけをEL84シングルで鳴らした特性は以下の通りである。明らかに2〜6kHzに何物かが加わっている。そしてツイーター代わりの205-8Aは全くいらなくなった。

Jensen C12RをEL84シングルアンプで鳴らした特性(斜め45度からの測定)

 この憑き物の原因を調べてみると、あっぱれなほどの分割振動。1kHzのパルス波に対し、正確に2,3,4…11,12,13kHzと整数倍の倍音が刻まれている。

Jensen C12RをEL84シングルアンプで鳴らしたパルス応答特性(1kHz)

 このときのサウンドが驚くほどの張りのあるもので、しかもどこまでも澄んだ青空のような感じ。そこで思い出したのが昔シャレで買った1950年代イギリス製の真空管ラジオで、これで試しに聴いたビートルズの音だった。つまり、アンプを少し変えただけで、いきなり1950年代の家庭用システムの懐に突入してしまったのだ。気分は?…周りにリーゼントと皮ジャンのお兄ちゃんに囲まれた感じ。で、何を聴いているのか? と尋ねると、答えは決まっている。ブルースとロックンロールだ。

 Cossor社 Melody Maker 524
50年代イギリスで流行ったホワイト色

ロックンロールの名付け親:アラン・フリード



【Jensenの歴史】

 Jensen社の歴史は、20世紀アメリカ音楽の歴史である。これは大げさではない。
 そもそも、デンマーク移民だったピーター・ジェンセンは、アメリカでラジオ技術者としてスタートしたが、ムービングコイル型のPAホーンの開発によって1917年のMagnavox社の創設者に名を連ねる。その後、1927年に独立してシカゴに移住して以降は、コーン型ダイナミック・スピーカーの製造で全米一のシェアを誇るにいたった。
 
1917年の街頭PA装置のデモ(左)、1941年のカタログ(右)

 ジェンセンに商才があったのは、自社ブランドに拘らず、アッセンブリーを手掛ける電機メーカーのニーズに沿ってOEM生産したことで、WE社のトーキーシステムから、
ベル&ハウエル社の映写機用スピーカー、ハモンドオルガン、フェンダーギターの楽器用スピーカー、Rock-ola社のジュークボックス用スピーカー、ケープハート社の高級電蓄用スピーカー、プレスト社の放送用アセテート録音機の音声チェックモニターにいたるまで、あらゆる分野にユニットを供給した。いわゆるオーディオの世界では、ほんの一部の製品しか知られないものの、Jensen製スピーカーはアメリカの電気音響技術の中核を占めており、メーカー毎の個性のほうがより大きかったと言える。

 ここで、ギターアンプ用として知られるPシリーズについて調べると、元々は1930年代の汎用ユニットであるコンサート・シリーズ(Aシリーズ)に行き当たる。ジャズバンドの簡易PA、高級電蓄用スピーカー、ハモンドオルガンのスピーカーなど、様々な場面で利用された。ともかく1本で1000人の動員を満足させるスピーカーとして、ダンスホールから野球場、カーニバル会場まで、アメリカ文化の社交場には欠かせない存在となった。Aシリーズは励磁型だったが、これを永久磁石にしたものにPM(パーマネントの略)という型番を付けた。これがPシリーズの始まりで、1945年にアルニコ5という強力な磁石を手に入れて以降は、小さな磁石で駆動できることが最新の技術として宣伝された。つまり、Pシリーズは戦前から続く汎用PAスピーカーの規格をそのまま継承したものなのである。

1942年のAlied商会の通信カタログ、極小でも強力なアルニコ5磁石(1945年)

 このPシリーズは、1947年にカタログを更新し、従来のコンサートシリーズであるPM12はP12Nへ、これの価格半分のスタンダードシリーズとしてP12R、P12S、それよりさらに安価なP12Tが新たに追加された。これは戦後に一時的なインフレになり、全ての物価が上昇するなかで、5年前の価格据え置きで対応する方策を打ち出したことになる。すなわち、1942年のコンサートシリーズはA12で$14、PM12が$16だったところ、1947年には戦後の物価上昇も嵩んで、同じクラスのP12Nでこそ$24だが、P12Rは半値の$12。理由は、磁石の大きさの違い、コーン紙の成型がP12Nは一体型プレス、P12Rは丸めて糊付けしただけのものだった。利用方法は、ラジオ、テレビ、レコード再生とあらゆる方面に使えるとあり、楽器用ということでは表に出していない。おそらくギターや電子オルガン本体に対し付属的な身分であることを正しく認識していたからだろう。この汎用PA用スピーカーが、アメリカ文化の奥深くまで入っていったのは、その価格もかなりの魅力だった。そしてRock-olaのジュークボックスに見るように、多くは安いP12Rで十分と判断したのである。
 1960年代のコンゴ動乱のあおりで、アルニコからセラミックに移行するときも、最も早く着手したのはJensen社だった。このときのPAスピーカーがCシリーズである。JBLやアルテックがアルニコを使用し続けたのは音質への影響もあったが、それをペイできるだけのマージンを得ていたことの裏返しである。Jensen社のような広範な販路を築いたメーカーは、アルニコの高騰は死活問題だった。この価格据え置き作戦のお陰で、若いミュージシャンがエレキギターを手にする機会が増えたことを考えると、けして安かろう悪かろうで終わるものではなかったことが判る。

 Jensen社がオーディオマニアのなかで評価を二分するのは、JBLやアルテックのような製品の一貫性がなく、あらゆる可能性を提供していたことによる。つまり、G610のように自他共に認める最高級ユニットから、オーディオ入門用の格安2way、そしてラジオ用スピーカーにいたる全てを網羅していた。特にステレオ化された1960年代以降は、$50近傍のものが最も売れたラインであった。オーディオブランドとしてのJensenは、残念ながら大衆的な2流の機器を販売していたメーカーという位置になる。


Jensen社の1955年カタログ:$4〜$252まであらゆる品揃えがあった

 一方で、Jensenは戦前からHi-Fiに取り組んでいたことでも知られる。1940年代初頭からJHP-52などのコアキシャル2wayスピーカー、バスレフ型エンクロージャーなどを、現在のHi-Fiと遜色ないものを普通の人が買える商品として展開していた。この時代のHi-Fiの先駆者として、オルソン博士やランシング氏が挙げられるが、いずれの製品も一般市場には出ないカスタム生産品であった。ランシングのアイコニック・モニターも、放送局の研究用として売られたのである。このカスタム生産のレベルまで引き上げると、WE社の下請けでAuditoriumウーハーやQ型ツイーターを製造していたJensen社も、そこに加わってしかるべきであろう。おそらくジェンセン氏の控えめな性格や会社としてチームプレーを大事にしたことなどで、個人が前面に出るようなことがなかったからと思える。Jensne社のHi-Fi戦略は、当時の状況からすると、マイクの生音を扱う音楽ステージかラジオのライブ放送しか出番がなかったために、ほとんど流通しなかった。
 戦後の急速なHi-Fiの展開の波のなかで、盟友のMagnavox社は家電メーカーに方向転換。Jensen社は多角経営こそ手を伸ばさなかったが、複数の開発チームで似たようなユニットを競合させるなど、他の会社では絶対にやらないような変わった方法でカタログを埋めていった。1950年代は最高級のGシリーズから、その下にHシリーズ、Kシリーズと一応ヒエラルキーを形成しているが、1960年代にはSG300、SG222、H223F、DL220など、同じ価格帯でコアキシャル2wayが4種類も存在するなど、開発チームの乱立ぶりが目立つ。そこにOEMで他社に供給したユニットがあるので、さらに混迷を深めるのだ。おそらくOEM契約が一度に売り上げが確定できる最良の方法だったのだろう。同じような方法は英国のGoodmans社やドイツのIsophon社もやっており、この辺の事情はどの国でも同じである。こうした事情も重なり合って、Jensen社のブランドはどこにでもある空気のような存在に拡散して、1960年代末に一端歴史を閉じるのである。

 ここでJensen社のエクステンドレンジ・スピーカーの概要をまとめると、1930年代に汎用PAとしてダンスホールに使われて以降、ギターアンプ、ジュークボックスと、1960年代に至るまでのアメリカン・ポップスの屋台骨として、どこでも聞ける商用オーディオ設備のひとつだったことが判る。オーディオメーカーとしてのJensen社は、そのブランドの多角化のために焦点が絞れないが、創業以来のPA用エクステンドレンジ・スピーカーについては、一貫した明瞭なサウンドが培われてきたと言えよう。その規格は、依然として戦前の電蓄と同じもので、SP盤、AMラジオ、アセテート盤など、ローファイと揶揄されたもののグループに属している。しかし、アメリカン・ポップスの基本的な部分は、この限られたアイテムのなかで熟成されたのである。




【ジュークボックス解体新書】

 ジュークボックスは1950年代を通じて花形のオーディオ機器だったが、意外にその中身について知っている人は少ない。ついついあのギミックなオートチェンジャーの動きに心を奪われがちだが、オーディオの機能としてはかなりシンプルである。
 有名なRock-ola社の機種について言うと、一番小さなタイプでJensenの8インチ P8R×2発、少し大きめのものでも12インチのP12R×2発とRP103ツイーターが付いている程度。アメリカのビンテージ機器で人気のあるアルテックのVOTTは愚か、JBLの家庭用システムと比べても見劣りのするものだ。これを6L6や6BQ5のプッシュプルアンプで駆動していた。モノラル時代のカートリッジはまだクリスタル型が多く、大きな針圧でガリガリ、ゴシゴシ鳴らしていた。発電部にコイルを使った高級品が使用されたのはステレオ時代になってからであるが、知ってのとおり1960年代に入ってもドーナッツ盤の半数はモノラルである。カートリッジのステレオ化は、ステレオ盤を傷つけない程度のものだったのではないかと思う。

 
Rock-ola社のジュークボックス Tempo II(1960年、P12RXを2個にホーンツイーター)


Rock-ola社のModel 100 ステレオ・ジュークボックス(1962年、C8Rを2個のみ)



Tempo用のアンプ(左:モノラル6L6×2、右:ステレオEL84×4)

 ところで、このP8RとかP12Rってどういうスピーカーかというと、Jensenの歴史のなかでは、1947年の発売時は汎用のPAスピーカーとして宣伝され、ラジオ、テレビ、レコード、あらゆる電気音響機器に最適とされていた。しかし、現在はギターアンプにのみ使われていて、エレキギター特有の強いディストーションを出すためのあらゆる工夫が凝らしてある。なので、ほとんどのオーディオ批評家は、高次歪みの強いローファイ仕様として整理している。間違って舌を噛んでも、Hi-Fi用にも使えるなんてことは言えないのだ。

 ところが、ここがモノラル×ローファイの信託者たる私目のお眼鏡に掛かったのである。最初は、入門用のローコストシステムを構築しようと、12インチで一番安いC12Rを後面解放箱に入れ、カーステ用に開発された安い中華デジアンを組み合わせていた。ところが、EL84シングルアンプで鳴らすと、これが立派なモノラルのジュークボックスに見事に化けた。多分ECL82やECL86でも同じ結果になるだろう。何だか、これまで自転車で上り坂を一生懸命こいで登っていたところを、一気に下り坂を降りるような快適な気分になった。




【イギリス病を解決した立役者】

 アメリカンポップスと並行して、英国ロックと関連の深いオーディオについて紹介しておこう。
 多くの日本人は、英国製オーディオについて、タンノイやクォードの製品を思い浮かべるが、イギリス病とも言われた慢性的なインフレは、不思議な現象を生んだ。難解きわまる例として、イギリス人に特有のSP盤への愛着が挙げられよう。五味康祐「オーディオ巡礼」には、1963年にイギリスを訪れたときのこととして「英国というところは、電蓄に対しては大変保守的でケチンボな国である。アメリカや日本でステレオ全盛の今日でさえ、イギリスのレコード愛好家はまだ七十八回転のSP(LPのモノーラル盤ではない!)で聴いている。市販のカートリッジも、SP・LP両用でなければ売れないという。ロンドンにも現在シュアーのカートリッジは市販されているが、V15のU型はおろか、V15すら部品カタログに載っていない。高価なV15など誰も買わないからだ。それほどケチンボな国だ。オルトフォンはさすがに出廻っている。しかし殆ど月賦販売用である。SPU/GTが二十三ポンド――邦貨にして二万四、五千円見当だろう――それを十ヵ月払いの月賦にしなければ誰も買ってくれない。そういう国民だ。」と記してある。この点を考慮して、Decca社の高級ステレオ・コンソールDecolaが78回転盤でも見事な音を奏でると賞賛している。
 このことは何を示しているかと言えば、百花繚乱にみえる英国オーディオ機器のほとんどは、一部の上流階級か海外向けの特産物であり、イギリス国民のお茶の間に届くことは稀であったということ。そして多くの人が電蓄(Radiogram)を愛し、RIAAになった後も78rpm盤を大切に聴いていたのである。QUADでさえ、1967年発売の33型プリアンプ(トランジスター式)に5kHzのハイカットフィルターを装備していたくらいである。多くのイギリス国民が聴いたサウンドは、SP録音の延長線ともとれる特性が好まれたといえよう。

 そこで、1960年代のイングリッシュ・インヴェイジョンを牽引したイギリスの主力製品は、Dansette社に代表されるような簡易な卓上プレイヤーであった。実はイギリスでは、レコード文化を保護するべくラジオでのレコード再生に制限があり、古くから電蓄が家庭に多くあって、アメリカのようにジュークボックスはそれほど普及しなかった。そこで、英国のティーンズがようやく手の出せるのがDansette社のものだった。かのポール・マッカートニーも愛用しており、ロカビリーに出会ったのもDansetteを通じてであった。日本で活躍するDJのピーター・バラカンも、1960年代末にモノラルの卓上プレイヤーで聴いていた。


当時最も売れたDansette社 TempoとBermuda
 
自宅でレコードのチェックをするRoger Daltrey

 卓上プレイヤーの多くは、BSR社のターンテーブル、セラミック・カートリッジ、ECL82のシングルアンプ、8x5インチの楕円フルレンジユニットの構成で、張り出している箱の部分からすると、卓上ラジオとターンテーブルが一体化したような構造だった。
 セラミック・カートリッジは、78回転盤と33/45回転盤の両用で、ノブを回転させると切り替えられるタイプが長い間使われた。セラミック・カートリッジは、自身がイコライザーと同じような特性をもっており、イコライザー・アンプを必要としないため、廉価で済ませることができた。公称の周波数特性は30〜15,000Hzだが、実際は8kHz前後で急激に減衰する。78回転盤の時代と違いはそれほど大きくないというのが実情で、ステレオ・カートリッジは、クロストークは20dB程度、6kHzより上はほとんど分離しないというもの。これがピンポンステレオを再生していた初期ステレオ録音の限界だった。

ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性

 アンプはECL82もしくはECC85+EL84のシングルという1.5Wのとても簡素なアンプ。これで8x5インチの楕円フルレンジを鳴らした。楕円ユニットは当時のラジオにもよく使われていたもので、EMIの高級ユニットでも、6kHzから減衰して8kHzまでというものでだった。一方で、2〜4kHzにピークがあり、これが音の明瞭度を上げているのだ。


Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー


EMI 92390型ワイドレンジユニット


 こうしてみると、イギリス国民が、LPの発売された1950年以降から1960年代の前半にかけて、立ちはだかる電蓄の巨大市場の壁を乗り越えるのに、かなりの時間を要したことが判る。ビートルズのレコードを買おうと殺到した人の多くは、電蓄の名残が強い8kHzまでの音響をさまよっていた。しかし上に見るように、そういうスピーカーでも生き生きと鳴る工夫が、60年代前半のヘンテコな音に秘められていたようにも思うのだ。こうした広いリスナーに聞かれた60年代の音楽は、オーディオ的な素養にピントを合わせるのが難しい。アラが見えないようにピンボケだと詰まらないし、何でもはっきり見えてもアバタだらけになる。今風の洗練されたステレオ機器で聴くことで、かえって評価を下げることも十分にありえるのだ。
 よく「明るい音でポップス向け」という言葉を聞くが、ドンシャリの音を好むオーディオ初心者を揶揄しているような言い回しで、ポップスに理解のない(良識のない)人の上から目線の言葉と思ったほうが良い。むしろ話は逆で、ローファイな機材でも心地よく聞こえるように調整されたサウンドなのだ。それを20kHzまでフラットなシステムで大音量で聴いて批評するので、「こういう音を若者は好んでいるんだな」と勝手に思っているだけ。ポップスを聴くのに、1960年代のイギリスの若者は、ラジオやポータブル・プレイヤー以上の大げさな装置でレコードを聴かなかったし、それでもロックの変革を牽引できたのだ。



【ローファイの王者】

 アメリカン・ポップスの王道を究めるため、米国製ジュークボックスと英国製卓上プレイヤーの中身を検証すると、非常にシンプルなシステムに行き着く。

  • Jensen C12Rは、伝統的にジュークボックスに使われた汎用PAスピーカーである。
  • EL84シングルは、イギリスで卓上プレイヤーの定番的なアンプであった。
  • 以上の2つを掛け合わせて、ラジオ以上ジュークボックス未満のポップなサウンドを復刻できた。


 アメリカン・ポップスの王道を極めるのに、どういうシステムが必要か? 昔から定評のあるJBL、アルテック、タンノイでもない。ましてB&Wやジェネレックのような現代のモニタースピーカーでもない。ジェンセンの安物ギター用スピーカーで十分である。C12Rは12インチのなかでは最も磁石が小さいが、ボイスコイル径も最も小さい1インチである。このことは、低域を伸ばす機能は劣るが、高域を伸ばすのに有利である。また30cm級のスピーカーだからと、何十Wもの重量級アンプは必要ない。古い設計の高能率なフィックスドエッジ・スピーカーは、MT管シングルの1〜2Wの小型アンプのほうが、リズムの切れが良く、軽く弾んだ音が出ていいのだ。
 今のオーディオはほとんどこれと逆のことをしている。本格的に聴こうと50Hzがズンズン出る重たいウーハー、15kHz以上を過敏に再生するツイーターをもつシステムを、200W級のアンプで鳴らそうとする。または定位感は良いが高域の指向性が極端に狭く、80dB台の低能率な小型スピーカーでニアフィールド・リスニングする。こうした手法は1970年代〜80年代前半のオーディオ・マニアの定番的手法であって、1960年代までのロックやソウルの試聴にはそぐわない。100Hz以下や10kHz以上の収録音はあやしいし、ステレオのミックスも左右に楽器を振り分けただけの、いい加減なものが多いからだ。これらの音楽への思い入れを示すために、あえて立派なシステムを選ぼうとしても、オーディオ理論のあまりの違いに失望するか、失敗にさえも気付かないで、1970年代ロックに結びつく系図をコレクションするだけに留まるのである。

 かといってビンテージ物という思い入れを優先して、JBL 4330かAltec 614E+マッキン C22&MC275、さらにタンノイ IIILz+クォード 22&IIなど、当時の最高レベルの組合せに血道を上げる必要も、ポップスにはそれほどないように思う。そういう品質にかなう録音は、10枚のうち1枚あるかどうかで、ポップスの場合はほとんどがB〜C級録音盤に留まっている。
つまり、オーディオ機器にのめり込めばのめり込むほど、音楽ソフトのコレクションの9割に不満が生じるという罪造りな装置になる。


ビートルズ、フィル・スペクター、ブライアン・ウィルソン、アラン・パーソンズ…使ってる機器に憧れる

 このようなモニタースピーカーは、実際に当時のスタジオでミキシングに使われ、生演奏を収録した後にプレイバックを試聴して、最終テイクを決めたという経緯がある。私もかつては同じような考えをもっており、スタジオで聴いたであろう状況を再現しようとアレコレ試行錯誤してきたが、こと相手がポップスとなると歯が立たない。色々と調べて判ったのは、モータウンを始めイーストコーストの録音エンジニアは、最後のテイクを家に持って帰って、当時よく使われていたAR-3などの家庭用スピーカーで音決めを行っていたことや、ロスアンゼルスのエンジニアは録りたての曲をアセテート盤にカットして深夜のラジオ局で掛けてもらい、自家用車にあるAMラジオで聴いて他の録音と聞き比べてサウンドチェックをしていたなど、表向きとは全く違う事情が明らかになった。つまりオーセンティック(本物志向)な芸術とは一線を画した、消費文化に即したポップな感覚がプロの現場にも浸透していたのである。

マリアンヌ・フェイスフルとロジャー・ダルトリー、英国家庭によくあるポータブルプレイヤーで試聴

 その意味するところは、最高品質のサウンドを届けるというよりは、大衆文化の歩調に合わせて、さらに手をつなぎ腕を組みながら進もうとする、草の根運動のようなデモクラシーの姿勢が強いということである。1960年代に根強かった共同体幻想の一端を音楽文化のなかにみるとは、ややローファイ傾向の強いAMラジオの音と真摯に向き合ったこと、と言い換えることができるだろう。その大前提に立てば、モニタースピーカーで試聴することは表看板の部分で、店の奥では酒とタバコと化粧の臭いでプンプンする世界が控えているのである。きれいごとで済ませようとしたところで、すぐに化けの皮がはがれてしまう、いやむしろ積極的に暴いてしまうくらいの、生々しい人間の姿がポップスには刻まれている。


 そういう目でみると、ポップスの世界はファーストフードやスナック菓子のようなB級グルメと同じもので、コーラを飲むのに高価なティーカップよりもガラスコップのほうが似合うのと同じ感覚がある。さらにガラスコップの次にステップアップする方向まで示すとなると、これは本当に難しいのである。結局は、コーラをもっとおいしく飲む方法であって、そそぐときに泡をどの程度立てて甘さの加減をきめるか、氷で冷たくなる時間と氷の融け具合のバランスで氷の大きさや量はどの程度にするか、コップ周りが結露でベトベトになる前に飲み干すのに最適な容量はどの程度か、等々、簡単なようでいて、その場その場で対処しなければいけない事柄が色々とあるだろう。そのうえで、氷がガラスに当たる音を楽しむとか、何回こすっても傷つきにくい材質だとか、結露でテーブルを汚さないコースターの材質、コップを置きやすく邪魔にもならないコースターの大きさとか、色々なものに気を配るのである。そういう意味では、普通に自販機で売っているコーラを、飲食店のなかで売るための付加価値は何か? という難問に突き当たる。

 オーディオ製品そのものが嗜好品としての性格が強くなるのと、こと音楽という抽象的な価値観を伴うものは、コーラに対するガラスコップに相当するものが何なのかも判らないのではないだろうか。単純に高級な機器を購入すれば、高級な音がすると思い込みがちだ。しかしポップスの世界では、ラジカセで十分なサウンドが聞ける録音を、わざわざ高価な機器を購入する意味がどこにあるのか? という素朴な疑問に突き当たる
 ポップスの場合、
上記のモニター系スピーカーのように、あらかじめ決められたマニュアルに沿っていれば、全ての成功が保証されるような期待感はだいぶ薄いと思ったほうがいいだろう。そういう意味で、規定通りの再生レベルを誇る機器よりも、多少粗っぽくても、タフで融通の利くオーディオ装置のほうが、色んな音楽にアプローチしやすいのである。Jensenのギターアンプ用ユニットは、1950年代にはどこにでもあるPAスピーカーとして、巧い演奏もヘタな演奏も全てを受け止めてきたタフさがある。そしてそのタフさは、アメリカ風の大雑把さと、フランクで大らかな側面も併せ持っている。周囲に鋭い目を向けて峻別するようなことをせず、どのような相手でもジョークを交えてともかく会話を続けようとする感じである。もちろん、聴き手のほうも、どんなヘンテコなサウンドに接しても、ブレない価値観を持っていることが前提でもある。ポピュラー音楽のバラエティーに対して、自分の価値観がハッキリしないので、モニター系でサウンドの基準を揃えるという考えも十分にあるからだ。

 その意味では、やや癖のあるJensenのギターアンプ用ユニットをオーディオ用として使う場合、価格面からみてビギナー向けであると同時に、サウンドの取り回しはベテランでも十分に吟味を重ねないと、体裁が整わないところがある。どのような音楽でも、焼き立て、淹れ立てのまま届ける、という価値観が優先されるユニットだ。その意味で、NFBでがんじがらめにしたアンプよりも、多少の歪みは混ざってもはじけ飛ぶような音の出るアンプのほうが合っている。それも何の工夫もないシングルアンプのほうが良い結果になるのだ。このように結果はシンプルだが、そこに至るまでの道筋に迷子になるトラップが沢山ある。そのトラップに何度も躓きつつも、音楽の試聴を重ねながらバランスを取っていくのが、意外に時間を要するのである。その原因が、ポピュラー音楽のバラエティーの広さに起因していることは、言うまでもないであろう。


 さて、C12Rという安物スピーカーの占めるステータスは以下のとおりである。

  • Jensen P12Rは、1947年に開発され1960年代前半まで製造されたユニットであり、Hi-Fi規格以前のスピーカーながら、ギターアンプのみならずジュークボックスにも広く使われた。C12Rは1960年代から製造されたマイナーチェンジ版である。
  • 1940年〜60年代は78rpm盤からステレオ録音まで、オーディオの急激な発展期にあったが、ポップスの場合は、どの音楽も最初はAMラジオで試聴することが多かった。ときにはリリース前に録音したての曲を流して、リスナーの反応を見ることもあったなど、様々な面で情報の最先端を行っていた。これはニューヨークやシカゴのような大都会だけではなく、メンフィスやデトロイト、ロスアンゼルスでも同様であった。
  • 1950年代中頃までテープレコーダーは高価でまだ多く普及しておらず、アセテート盤での収録が多かった。この周波数の上限も10kHz程度である。放送業界では1960年代もこの状態が続き、数回の再生で摩耗する点でも、コピーガードの役割も兼ねていた。
  • 1950年代のポップカルチャーのアイコンだったジュークボックスも、クリスタルカートリッジ、エクステンドレンジ・スピーカーの組合せで構成されており、上限は10kHzまでであった。
  • 以上の理由で、1940年〜60年代の音楽のコアな部分は100〜8,000Hzに集約されており、エクステンドレンジ・スピーカーはAMラジオの音声規格内で最大の効果が得られるように設計されていた。

 C12Rというユニットは、少なくとも1947年から1960年代前半までをカバーしており、さらには1930年代から1940年代のSP録音、1960年代末のカセットテープ録音など、現在ではローファイに属する規格郡を広くカバーできるユニークな拡声装置だと言える。いずれにせよ、キーワードは「ラジオのような音」と揶揄されてきたサウンドを、いかに上質に鳴らし切るか? という課題に行き着く。
 こうしてみると、ポップスの収録では、ドーナッツ盤はSP盤に比べオーディオ的な優位性はそれほどなく、むしろハード面で割れにくくレコード針の寿命も長いという利便性が優位にあったというべきだろう。これが長尺物の多いクラシックやジャズだと様相は大分違っていて、何が何でもLPでなければいけないし、LPを買う購買層も自然と高級オーディオを所有できる人たちに限定されていた。逆に1950年代のポップカルチャーは、ラジオやジュークボックスに群がるティーンズを中心に展開されていったのである。

 考えてみれば、1950年代末から1960年代前半のティーンズの指向は、いたってスマートなものだった。もちろん経済的な弱さももっていたが、自分たちのトレンドを作り出すのに、それほど大げさなシステムを必要としなかった。
それでも音楽は健全な成長を遂げた。このことを知る鍵が、ローファイなジェンセンのスピ−カー
から聞こえてくるように思うのだ。



【基本はモノラル】

 私個人は、60年代のポップスはモノラルで聴くのが基本と考えている。理由は以下のとおり。

  1. 例えばビートルズ「赤盤」。モノラルからデュオ・モノラル(ピンポン・ステレオ)など様々な音響が入れ混じり音楽に集中できない。モノラルなら同じ条件で聞くことができる。
  2. 1960年代末でも全米の90%はポップスをモノラルで試聴していたという驚愕の事実も、複数の録音エンジニアが暴露している。1965年頃までは、スタジオ収録はモノラル・ミックスが標準で、ステレオはLPへのカッティングのために後日編集されたケースが多かった。モータウンのエンジニアは、8トラックレコーダーを導入したとき、モノラルトラックでしかミックスバランスを取れないのがオーナーにばれて、危うくクビになりかけた。
  3. 当時の放送媒体はラジオ、テレビともにモノラルであり、大衆音楽の擬似体験としてはモノラルのスケールで聞いたほうが標準的だと考えている。ロスアンゼルスのエンジニアは、録りたての曲をアセテート盤にカットして深夜のラジオ局で掛けてもらい、リスナーの反応を調べると共に、自家用車にあるAMラジオで聴いて、他の録音と聞き比べてサウンドチェックをしていた。

 では、最初からモノラルで収録された音源に関しては、そのままとして、ステレオのモノラル化はこれまで色々な人が悩んできたことである。以下にその方法を列挙すると

  1. 変換コネクターなどで並列接続して1本化する。
  2. プッシュプル分割のライントランスで結合する。
  3. ミキサーアンプで左右信号を合成する。

 このうち1の変換コネクターは、一番安価で簡単な方法だが、誰もが失望するのは、高域が丸まって冴えない、音に潤いがない、詰まって聞こえるなど、ナイことずくめで良い事ないのが普通。この理由について考えてみると

  1. ステレオの音の広がりを表す逆相成分をキャンセルしているため、響きが痩せてしまう。
  2. 人工的なエコーは高域に偏る(リバーブの特徴である)ため、高域成分が減退する。
  3. ステレオで分散された音像が弱く、ミックスすると各パートの弱さが露見する。

 2のライントランスでの結合は、この辺の合成がコネクタよりはアバウトで、逆相の減退を若干抑えることがでる。一方で、ムラード反転型回路が出回って以降は、ラインレベルで分割するトランスはほとんど生産されなかったため、かなり古いトランスに頼らなければいけない。つまり状態の良いパーツは高価だし、相性の良いものを見つけるまでに断念することが関の山なのだ。

 そこで、第3のミキサーアンプでの合成だが、これも左右の信号を単純に足し合わせるだけでは、あまり意味がない。左図のように、左右の信号の高域と中域のバランスを互い違いにして混ぜることで、上記の問題はほとんど解決されることが判った。高域と中域のバランスを、±6dBで左右互い違いにする方法で、擬似ステレオの反対の操作である。仮にこれを、逆-疑似ステレオ方式と呼ぶ事にしよう。
 2.5kHz付近は音のプレゼンス(実体感)をコントロ−ルし、10kHz辺りはアンビエント(空間性)を支配する。1970年を前後して、この空間性が著しく発展し、かつEMTのプレートリバーブなどでブリリアンス(光沢感)も加えるようになったため、この帯域抜きでトーン・バランスをとることが難しくなっている。人工的なリバーブは逆相で打ち消しあうので、高域がカマボコに聞こえるのである。もうひとつは単純なモノラル化は、中央定位させる中低域のバランスに隔たって、全体に下腹の膨らんだ中年太りのようなバランスになる。このため、低域を両chとも下げる必要があるのだ。
 この時代になると、FM放送の恩恵で、段々とステレオ機材のグレードについて云々言われ始めたことで、録音のほうもそのグレードに見合ったものが要求されるようになった。ちょうどバンドの楽器を、オーケストラのように配置するようなことが始まった初期の段階になる。この場合は、全体のトーンがサウンド・バランスと密接に関わっているので、単純に左右バランスを崩すと、全体のトーンが少しおかしくなるようだ。そこで左右の中高域のトーンをずらすことで、モノラルにしたときの交通整理をしてあげると、見通しの良い音に仕上がる。
 ロックで言えば、ベースとドラムの上にボーカルや各楽器が乗る、という音楽構造が安定するため、バンド間の駆け引きが手に取るように聞ける。これがステレオだと、仮想音像のキックドラムがドンヨリ広がり、ベースとリードギターのピンポンゲームを鑑賞するような感じになることが多いのだ。


 ちなみにモノラルの聞き方は、スピーカーの正面ではなく、斜め横から聞くのが正式な聞き方。かつてのモノラル再生はどうだったのか? 録音現場を見てみよう。



レスポールの自宅スタジオ
 まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようだが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。正面配置ではなく、横に置いて聴いている。
 同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、BBCスタジオにも見られる。

605Duplexでモニター中

BBCでのLSU/10の配置状況


 以上、モノラル化するメリットを挙げると

  1. 試聴位置での音像の乱れがなく、好きな姿勢で聴ける。
  2. 音の骨格がしっかりして、楽器の主従関係が判りやすくなる。
  3. 楽器の出音とエコーがよく分離して、楽器のニュアンスが判りやすくなる。

 これらの効果は、音楽の表現がより克明になる方向であり、ステレオ効果による雰囲気に流されないで、演奏家が格闘する姿も炙り出す。どの演奏もかなり切れ込みよくなるが、かと言って雰囲気ぶち壊しというわけでもない。優雅さも十分に表現できるが、それを保持するときの演奏者の緊張の入れ替えが脈実に伝わる。では、モノラルでいけないワケは、どこにあるのだろうか? 実は何もないのだ。演奏家のパフォーマンスを表現するにあたって、モノラルで十分。いや、むしろモノラルであったほうが良いことも多いのだと、あえて言おうじゃないか。今どき古い録音が「モノラルなので残念」なんて感想をいだいてる人は、装置を改めて欲しいと存じます。



【トラウマよ、さらば】

 最初に書いたように、自分にとってロカビリーは、ビートルズと並んで自己嫌悪の種だった。しかし全てのアメリカン・ポップスはこの時代を橋渡しにして繋がっているのである。ジェンセンとMT管アンプで1940〜60年代の録音のコアな部分を攻めることができた。最近は、著作権の切れた古い録音で、普段は目にすることのない貴重な録音も、コレクターの思いのこもった形でリリースされるようになったのも嬉しい。これらの癖だらけの録音が、ジェンセンの下で仲良く手を繋いでいる。ラブ&ピースの世界が実現したのだ。

アリストクラット・ブルース・ストーリー(1950年前後)

シカゴブルースの本山であるチェスレコードの前身がこのアリストクラット。まだアセテート盤で録音していた時代で、リリースもSP盤だった頃の貴重な復刻コレクションである。アセテート盤特有の乾いた音が、ブルースギターの悲しげな表情を浮き立たせる。それに追い打ちを掛ける酒臭いオヤジのダミ声。新聞紙のような荒い描写が、自然に感じられるのはジェンセンだけ。
メンフィス・レコーディングスVol.1(1952〜56年)

ロカビリーで有名なサンレコードの独立後のシングルを全てリリースする大企画の第一弾。これだけでも10枚組180曲ある。エルヴィスのサン時代のシングル全てを含んでいることで注目されがちだが、驚くのはサム・フィリップスの飽くなき音楽への探求心である。いわゆるジャンル分けできない不思議な音楽が少なくなく、エルヴィスもそうした変な音楽をやった一人だったことも判明。初期は明らかにアセテート盤で、テープ録音機の導入は、エルヴィスの移籍後だったかもしれない。バラツキの多い録音品質に一貫性をもたせるのが再生のポイントだが、ジェンセンはそこを一本筋を通す。
ソウル・オブ・デトロイト(1959〜63年)

初期のモータウンを集めたコンピレーションで、大ヒット爆進を続ける前の、それこそファミリー感覚あふれる曲が揃えてある。まだR&Bとポップスの境界線を狙っているが、このブラブラ感がデトロイト風。ダイアナ・ロス加入前のシュプリームス、少年時代のスティービー・ワンダーなども名前を連ねている。これが曲者で、ある種の軽さが出せるシステムでないと、味わいが軽減されるという自己矛盾が生じる。逆にいえば、軽く見られがちな曲想を、それなりに聴きごたえのあるものにするのは意外に難しい。私個人はこの軽さの出せるのは、EL84のようなMT管のアンプとフィックスドエッジのスピーカーの組合せだと信じている。
アイ・ガット・ユー /ジェームス・ブラウン(1966年)

発売は1966年だが、表題曲が1965年にヒットしたのを期に過去の音源を集めてLP化したもの。最も古いもので1960年のものが含まれている。絶叫でマイクアンプを歪ませるのはお手の物。それを乗り越えたところに、一種のカタルシスがあるが、今のオーディオの常識では全く理解できない。これを理解できるのがジェンセンである。
ビートルズ 1962〜66

通称「赤盤」。手持ちのはジョージ・マーティン監修CDである。まだリマスター技術が成熟してない時代のもので、自称オリジナルテープを元にイコライザーで高域を持ち上げただけでCD化。最初のラヴ・ミー・ドゥが鳴った途端に、パラレルワールドに迷い込む。その後は、セッション毎の音の違いに耳が行って、音楽に全く集中できない。おそらく楽器の位相などもバラバラなんだと思う。しかし、ジェンセンだと不思議なことに、最初のラヴ・ミー・ドゥのドラムからスタッと決まり、リズムの面白さに引き込まれていく。
追憶のハイウェイ61/ボブ・ディラン(1965年)

これも1990年代のCDである。楽器の音を突っ込めるだけ突っ込んで混濁している。そしてディランのしゃがれ声。何もかもが汚れきっている。というか、最初に聴いたときは、わざと汚くしているとしか感じなかった。これが時代を変えたロックの名盤だというのが、なかなか理解できなかった。ときに思想だけが先行して解説されることの多い迷盤でもあるが、改めてブルースとフォークの原点に立ったセッションを目指していたことが判る。そこがアメリカという国の成り立ちを歴史的に眺望する面白い効果を生み出している。フォークをロック化したなんて陳腐な言葉で理解しないでほしい。
マイ・ジェネレーション/ザ・フー(1965年)

なかなかスポンサーが決まらず迷走したザ・フーのデビューアルバム。パイ・スタジオでのモノラル録音で、癖のあるナロウレンジの録音である。大概の人が、ビートルズを中心にシステムを調整するなかで、必ず躓くのが次の世代のバンドのサウンドが全く異質なことである。おそらくクリームやツェッペリンの登場する前の数年間は、ほとんど食指が伸びないし話題にもならない。ザ・フーの評価も、ウッドストックでのハードロック路線やリーズ大学ライブを経てのことだと思う。契約会社の関係もあって、半世紀ぶりのオリジナルでのリリースだが、歴史の一コマとして看過するのはもったいない、ブリティッシュ・ロックの基本的なエッセンスが詰まっている。
BBCセッション/クリーム(1966〜68年)

ハードロックの幕開けとして、クラプトンのライブでの即興演奏ばかりが評価されたバンドだったが、ここで聴くセッションは放送用の短い曲ばかりながら、バンドが本来目指していたブルースロックからハードロックに変貌する過程が満喫できる。本来ならオールマンズ・ブラザースのように、もう2〜3人は増員しても良かったと思うが、3人だけの最小構成で挑んだストイックな態度が、良さとして判るようで判りづらい演奏でもある。おそらくBBCのスタジオ内というデッドな響きが輪をかけて、ロックの修道者のような感覚を生むのだろう。ブリティッシュ・ロックの枠組では到底理解できないという点では誰もが理解できるだろう。ジミヘンも含め、アメリカン・ロックへの貢献度のほうがずっと大きいことが後に明らかになるが、本人たちはあくまでもイギリス国内で、自分たちの音楽を求め続けていた。海賊ラジオから続くイギリスのラジオ文化を知るうえでもユニークな企画だ。ラジオ的な音声帯域を外さずに、音響出力だけを上げるのは意外に難しいが、ジェンセンのような簡易PAなら可能である。
ライブ・アット・マックス・カンザス・シティ/ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
(1970年)

ルー・リードが在籍した最後のライブで、ウォーホル一派のバーリン女史がソニー製のカセットレコーダーで録音したブートレグ盤。Rihnoによるリマスターで大分良くなってるが、やはりレンジの狭さはぬぐえない。しかし、不思議なもので、ジェンセンはこうしたローファイ録音でも、場末のPAのようにそれらしく聞かせてくれる。おそらく、カセットレコーダーの音をスケールアップするのに、これ以上の方法はないのではないか? と思えるようなバランス感覚がある。



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