20世紀的脱Hi-Fi音響論(シーズンオフ・トレーニング)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「70年代歌謡曲プレイバック PartII」は、ジェンセンの安物スピーカーを元手にドケチなオーディオライフを目指す日常を書いています。
70年代歌謡曲プレイバック PartII
【藁しべ長者のオーディオライフ】
【演歌でエエんか?】
冒険は続く
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


70年代歌謡曲プレイバック PartII

【藁しべ長者のオーディオライフ】


 家族にオーディオが趣味だと認めさせるには、相当根気がいる。何よりも10万円以上の出費は、普通のサラリーマンで子育て世代には何の縁もゆかりもないだろう。しか~しである。諦めなければ自然と希望の光は射すもので、世界経済の趨勢をみれば、オーディオ趣味は今や成長期の東南アジア、ロシア、南米をターゲットにしている。これに乗らない手はない。

 このほど冬ボの小遣いでサブシステムのグレードアップを試みた。購入リストは以下の通りである。

現状 更新 価格
アンプ Lepai LP-2020A+ Denon PMA-1500RE 69,800円 → 3,500円/月
ツイーター EV 205-8A EMINENCE AS1001
EMINENCE H290S
3,218円
3,218円
チャンデバ BEHRINGER CX2310 8,618円


 グレードアップを目論んだ理由は、次のような感じ。アンプは、このまま中華デジアンを使い続けても、いつ壊れてもおかしくないので、素直な音のするデンオンの中堅機を選んだ。ツイーターは、なんちゃってコーンツイーターを卒業して、ちゃんとドライバーをということにしたかったのと、ジェンセンのアメリカン・サウンドを究めるべく、ケンタッキー出身のエミネンスの格安ドライバーを選んだ。こっちのほうが10kHz以上がレベルダウンするというスペック表を読んでのことである。冒頭に新興経済国のことを挙げたが、生産地は、デンオンは日本の白河工場、エミネンスはケンタッキー工場、ジェンセンはイタリア製と、製造はG7国で新興国向けに安く作っているもの。
 こうしたモノ造りのスピリットをもったオーディオ企業への自分なりの思いもあって、全て新品で揃えたので、最終的な出費は8万円超えの大事業だが、全て1万以下の値段で押さえ、お小遣い程度と言えるドケチな予算配分である。清貧というよりは、泥臭くても勝ちにこだわる闘志の現れと思っていただきたい。



 細かい話は置いといて、結果から言ってしまえば、ローファイでしみじみ行くつもりが、完全にハイファイの特性に生まれ変わってしまった。チャデバのクロスをいじって、レベル差を耳で合わせただけだが、ゾロ目のようにフラットになった。面白いのはパルス成分の倍音とのバランスで、音の食いつきが攻撃的なのに、伸びてる音はシルキーという、相反した性格が共存している。


例のごとく斜め45度からの特性(20kHzまでビシッとフラット…気持ち悪い)


1kHzパルス波では本来の癖が出てる

 音調は全体にブライトだが、超高域を刺激的に出すタイプではないので、肌触りは潤いがありしっとりしてる。おそらくEV 205-8Aのほうが、シンバルなどはうるさいほど出てた。しかし、全体にSN感が高まり、ボーカルに深く味わいが出て、ベースの音程がくっきり出てきた。これがユニット代15,000円のスピーカーの音とは誰も信じないだろう。一方で、ここまでフラットだと、放送局のモニター室に連れてこられたようである。




【演歌でエエんか?】


 歌謡曲、ニューミュージック系のことは既に話したので、演歌についても書いておきたい。1960年代以前は、演歌のことを押し並べて流行歌と呼んでいた。おそらく昭和40年を境に高度成長期が本格的になり、「演歌=大人の夜の音楽」と「フォーク=若者の音楽」とが枝分かれしたからだと思う。今は演歌とムード歌謡をちゃんと区別できる可能性は低いが、当時はムード歌謡が最も演歌への発展性を秘めたジャンルだったと思う。望郷歌、ご当地ソングというのもあるが、基本はラブソングである。
 では、なぜに「ムード」なのかというと、多くのムード音楽が酒場のダンスで供されていたが、欧米ではラブ・ミュージックと称していて、艶めかしい美女がイメージガールとしてレコード・ジャケットの表紙を飾り、否が応でもあっちのムードを盛り立てていた。昔は「家でステレオを聴こう」というデートのお誘いが可能だったのだ。こうした男の武器を片手にとはいかないが、ムード歌謡はまさに男と女の行き交うナイトクラブで生まれたと言えるだろう。

 淡谷のり子(この方は演歌嫌いであったが)のブルース以来、演歌は黒人のブルースと比較されやすいが、むしろナイトクラブのジャズ歌手から、ラテンのムード音楽との相関性のほうが高いと思う。
一時期、艶歌、怨歌とも呼ばれたが、1970年の大阪万博を境に、未来志向を歌う若者の音楽が商業的に優勢になるなかで、演歌はむしろ過去に未練を残すのように、失われた愛を追い求めていた。誰だって器用に恋愛ができるわけじゃない。むしろ不器用なほど共感を呼ぶという不思議なジャンルである。
 演歌とは「いい女」を演じる歌である。では、いい女とは何か?と問われれば、これは男にとって、という前提がつく、徹底した男尊女卑で成り立っている。しかし、そこにはちゃんとしたルールがある。ひどい男もいれば、優しい男もいる。その目線の先にあるのは、実は選別されているのは男のほうだと判る。ここが浮世を歌った演歌の愉快なところでもある。
 逆に言えば、演歌とは「不器用な男」を演じる歌、ということもいえる。演歌には愛おしいダメンズが多い。どうも女性からみたカワイイ中年男は、母性に根差しているのだと思う。男ってものは、いつまでも子供のように甘えん坊でいたい。これも日本的な文化である。でも、大人同士なので、恋という壁ができてしまう。不器用にならざるを得ない。
 「いい女」と「不器用な男」が出会う歌。欧米にはなかなかないテーマが、はかなくも繊細な言葉で綴られている。この点が、昭和の良質な文学性に基づいているのかもしれない。
言ってしまえば、全てにおいて回りくどいのだが、そのほうがリアルに思えた時代だったのである。映画や小説だとすごく評価されるんだけど、演歌はそこまでいかない。




 で、昭和の後半戦に子供時代を過ごした私としては、やはり歌謡曲は、お茶の間でコタツとみかんと一緒なのがいい。オーディオ誌では絶対に認めないレイアウトだが、生活の中にオーディオがある、大らかな時代の象徴である。大体、モノラル試聴はこういう「ながら族」のためにあるようなもの。



 こうなると、真空管のあかりを灯して、ロクハンでしみじみと、などと考えがちなんだけど、実はここに落とし穴がある。
演歌の録音品質は、下町の横丁にある裏寂れた安酒場をイメージする人も多いが、実際はアメリカン・サウンドの王道を行くリッチなものである。演歌歌手の豪勢な衣装と実によくリンクしている。このサウンドは元を辿れば、ハリウッド経由の映画主題歌、ラズベガスのナイトショーに行き着くのである。ウェスタン・エレクトリック、RCAビクターのゴージャスなサウンドを思い浮かべてみよう。
 そういう意味でも、昭和の演歌の一番の強みは、生バンドを従えた状態で、その膨大なコストに見合う実力の歌手しか舞台に立てなかった。一気に低迷したのはカラオケの流行からで、打ち込みのドラム、ピコピコ・シンセで安っぽくなった。大掛かりなビックバンドが常時活動していて、日本全体が興行の舞台となった不思議な時代が昭和、ということもできるだろう。それが当たり前のように、お茶の間のテレビに映っていたので、そういうものだと誤解しているのだと思う。視聴者側の原風景は庶民的だが、それを造り手の側からみれば、庶民の手に届きようもない膨大なコストが投入されていた。
 しかし、歌謡番組は、古くなったブラウン管テレビと一緒に捨てられた、と言っても過言ではない。このため、昭和の演歌を再生するとは、ブラウン管というシールドバリアを突き破って、本来の力量を解放してあげる、ということなのだと思う。解放するためには、言葉の上でのスペックを並びたてるよりは、実際のオーディオ機器の力量がものをいう。この辺は人気より実力で勝負する、演歌歌手と一緒である。その力量に見合うシステムを構築してこそ、昭和の演歌は生きてくるのである。



 では、演歌歌手をディープに再生する、根性のあるオーディオ機器を揃えるのに、どれほどの費用が必要か? と問われると、「オーディオ藁しべ長者」を目指す私の意見では、ツボを押さえれば安くでもゴージャスな音になる、と答えよう。以下は持論である。

ニアフィールド試聴とヘッドホンは避けよう)
 いきなり大きいステレオは難しいので、試しにこじんまりとした小型スピーカーから始めよう、と思うのは間違っている。今どきのニアフィールド試聴で、音像定位がどうの、サウンドステージの奥行き感がどうの、そういうのは演歌にとってジャマなだけである。歌一筋、直球勝負でなければ、演歌歌手に対峙できない。
 あと、ヘッドホンは部屋で大きな音を出せないという環境では重宝するが、外耳の共振周波数である4~8kHzの影響を受けやすく、10dB以上のブレは当たり前。その分低音を強調したりと、全てをデフォルメして聴く傾向があって、普段使いとしてはお勧めしない。頭の中だけで鳴りひびくオーディオから離れることが、演歌再生の第一歩である。


高価なだけではダメ)
 逆に、100万円以上もする大型スピーカーを買えば解決するかというと、これも難しい。50Hzの重低音、20kHzの超音波は、生身の声にはジャマな存在になりやすい。実際にマイクでも、そこまで拾っていない。よく超高域が伸びると、ボーカルにリアリティが増すと言われるが、今どきの歌手の耳元でささやくような声には適していても、腹の底まで響く演歌の情感には結びつかない。150~6,000Hzがしっかり出せるスピーカーが基本になるのである。両端の周波数は、中域をサポートするように伸びていれば大丈夫。AMラジオなみの帯域だが、考えてみればAMラジオの規格は、人間のアナウンスに最適化されたものである。SP盤の復刻のようなナローレンジのソフトで試聴しても、違和感のないスピーカーがいい。

中低域と中高音の出音を揃えよう)
 人間の声の帯域は、100~300Hzの胸声、300~1,000Hzの実声、1,000~2,500Hzの喉音、2,500~6,000Hzの子音、というふうに、複雑な音域が一度に出る。一般に女性の話声は、300~800Hzに留まるが、男歌もこなす演歌歌手ともなれば、男性なみのドスの効いた胸声を織り交ぜてくる。音符の上での実声だけを頭で想像すると、かなり当てが外れる。


 一番注意しなければならないのは、100~300Hzの中低音の出音で、この帯域は得てして中高域よりずっと遅れてスピーカーから出てくることが多く、結果的にコブシの浅い声しか聞こえないチャラチャラした音になることが往々にある。いわゆる声が甲高くキンキンするけど、高域を絞っても声の通りは悪くなる一方の症状である。
 解決策は、中低音をダイレクトに振幅できる30cm以上のスピーカーを使うことで、こればかりはボーカルの彫りの深さに歴然とした違いが出る。20cm以下だと、この帯域は箱の反射音を介して広がるので、ワンテンポ遅れて出てくる。かといって、重低音だけを出すために設計された重たいコーンのものは、1~2.5kHzの抜けが悪いのでかえって良くない。クロスオーバーで切ってあるからと言っても、倍音の出方で全然違う。昔からあるJBL D130や、私が使ってるJensen C12Rなどは、ボーカルの生音を扱うために開発された数少ないスピーカーである。30cmでもフルレンジと称しているものなら、この点は問題ない。

ホーンは大きいほうがいい)
 2kHz以上のクロスオーバーで使う場合、高域しか出てないからといって、大きなホーンは不要と思う人も多いだろう。しかし、クロスで切ったはずのボーカル域からの倍音の出方が全然違うのだ。高域だけがシャカシャカ鳴っているのと、ボーカル域との繋がりがしっかりしているホーンドライバーは余裕が全然違う。クロスオーバーより1オクターブ低い(周波数で1/2の)カットオフのホーンを選ぶと落ち着きが出てくる。

 こうした手法は、ジュークボックスが流行った1950年代の設計で、今ではギターアンプ用スピーカー、PA用ホーン、という特別な用途で売っている。銘柄に惑わされずにボーカル中心に選ぶと、ステージ用のスピーカーに行き着く場合がある。

アンプの駆動力)
 こういうAMラジオなみのコアな帯域は、逆にいえばどのスピーカーでもほどほどに出せるので、アンプは情動をつかさどる重要なデバイスになる。音色が劇的に変わるわけではないので、違いが分かりにくいが、音の押し出し、情感、エモーショナルな表現の源は、アンプの駆動力にある。これだけにお金を掛けても、あとは結果がついてくるようにも思える。
 しかし、彫りの深い表現をもつアンプというのは、それほど多くはない。高価なアンプでもほとんどは、音場の見通しが良いとか、超高域まで低歪みに再生できるとか、ミジンコのようなスペックを追い求めている。個人的に演歌用として勧められるのは、ラックスマン、ローテル、エアータイト、デノン、あとお金があればマッキントッシュなどである。あと真空管もKT88、6L6などのプッシュでいい感じになる。あえてロック向けと言われるくらいのドスの効いたアンプを選んだほうが無難である。

CDプレイヤーとライントランス)
 まぁ、LPを沢山持ってる人には不要かもしれないが、CDは扱いが簡単な一方で、高域が伸びきっているので案外困ってる人の多い難物である。
 まずはライントランスを入れることで、歌手の表情が浮かび上がる感じになる。今時の録音現場ではトランスでサウンドに根性を入れるのは当たり前になってきて、以前のように単に高周波ノイズのカットするというだけでなく、クリーンな倍音を出してくれるということで、必要な帯域のクローズアップに磨きをかけてくれる。ベルベットのような光り方といえば判るだろうか。
 あと真空管バッファアンプをCDプレイヤーをアンプの間に挟むと、倍音を豊かにしてくれる点でいい。トランスのように鈍い光沢ではなく、朱塗りの器をタングステン球で照らしたような光沢になるので、少し積極的に味付けした感じだ。なかなかプリアンプ以下で専用機がなくて難儀するが、真空管を使ったヘッドホンアンプや録音用のマイクプリ、リミッターなどで代用できる。
 CDプレイヤーは、何でも同じなように感じるかもしれないが、価格なりに差は出る。多くは中高域のピュアリティに心血を注いでいるが、機種によってはボーカルの抜けの良さ、中域の腰の強さなどにちゃんと寄り添ってくれる製品がある。個人的にはCEC社のベルトドライブ型がボーカルの自然さで一押し。お買い得はトランスポートTL5で、パソコン関連でかつてほどDAC単体も敷居が低くなったが、プレイヤーの質は下げたくない人にはうってつけ。

プアマンズ・チョイスを侮るなかれ)
 1970年代の録音エンジニアは、自宅でラックスマン SQ-38FD、JBL 4311という組合せが中心的だったようだ。現在だとラックスマン L-550Aux、JBL 4312Eという感じになる。これだけでも他に機器を揃えると100万円は超えてしまうので、私のようにアンプはデノン、スピーカーはジェンセンで自作というのでも、最低限の用は足せるし、軽自動車から中堅のファミリーカーくらいの乗り心地の差は出る。昔からオーディオ評論家の菅野氏が「プアマンズ・~」という命名で、コストは安いけど音質は立派という製品を評していたけど、そういう視点で見直せば、夢は広がるものと思う。

ちょっと昔のリッチマン 結構高いミドル機器 藁しべ長者
CDプレイヤー スチューダー D730 CEC TL5+DAC CEC TL51+DAC
カートリッジ オルトフォン SPU デノン DL-103
アンプ マッキントッシュ C22+MC275 ラックスマン L-550Aux デノン PMA-1500RE
+UTC ライントランス
スピーカー JBL 4330 BBC LS5/9 自作
低域 JBL 2231A ジェンセン C12R
高域 JBL 2420+2312 エミネンス AD1001+H290S


 子育ての過程で、リビングで音楽鑑賞が不可能になって(追い出されて…)から、6年越しにサブシステムを増殖していったのでございます。お小遣い程度でも心はリッチな藁しべ長者。

●2012年4月:最初はロクハンと三極管アンプでシミジミ行こうと…



●2014年10月:アメリカン・ヴィンテージに片足を突っ込み、メインのCDPをサブシステムに移し、中華デジアンも参戦…



●2016年11月:ヤマハのミキサー、デノンのアンプ、ジェンセン&エミネンス連合でマルチ化…



 ジェンセンの良いところは、ともかく元気の良いこと。ドラムが跳ねて、ボーカルが喰い付く。ホーンの質感で化けることも十分にあるんだけど、価格が極安なので、合わせるホーンにも物欲を自浄する作用がある。1950年代のハイファイ・オーディオの驚きというか、トキメキ感でいっぱいのサウンド。



 以下は試聴盤。演歌の場合は、コンセプト・アルバムという考えがなく、ベスト盤が基本である。私自身はアナログ盤は面倒なのでCDしか聴きません。あしからず。

ゴールデンベスト 西田佐知子(1960~70)

美人の歌手は大成しない、若い歌手といえばカバーポップスという定番を覆し、安保闘争期のBGMともなった刹那な「アカシアの雨がやむとき」から始まった異色の流行歌手だが、「東京ブルース」でムード歌謡の最先端に。青江美奈のようにお色気を振りまくことなく、上品に歌い込む声は、誰もがもってる純心を写し取ったような感じで、演歌と呼ばれる前の流行歌の姿を垣間見るような気がする。システムのせいか、録音の古さは感じない。
藤圭子劇場(1971~79)

藤圭子のライブ録音を収めた6枚組で、生前に企画されながら、なかなかCD化に至らなかった伝説の録音。特に歌手活動1周年を迎えた渋谷公会堂での収録は、全てに渡って万全の出来で、これ1枚だけでも十分に価値のある内容になっている。このとき既に「演歌一筋」という言葉が司会者から漏れるが、ロックやフォークとうつつを抜かす若者たちを余所目に、堂々と演じきっている。単なる歌手として考えた場合でも、昭和歌謡のベストの状態をもっていると思う。
何年も待った人も多いはずだ。
ちあきなおみ オンステージ(1971年)

まだレコード大賞を取る前の日生劇場での歌謡ショウの実況録音。ワンマンショウという言い方が、この手の巡業中心の歌手には珍しかったらしい。最初から侍に変装した立ち回りシーンで始まるが、映像抜きというのがやや辛いものの、当時のバラエティーを含んだ舞台の様子が判ることでも貴重。どうもミニスカを履いてロックテイストの歌も歌ったらしいので、映像がないのが本当に惜しい。歌のほうは、若い上り調子の頃のもので、何を歌ってもハズレのない実力ぶりを示す。録音はラジオ実況に近い音質の中の上だが、この手の録音をそつなく再生できるとありがたい。
ゴールデンベスト 渚ゆう子(1970~97)

ベンチャーズ歌謡というジャンルで名を馳せた歌手だが、録音にベンチャーズのメンバーも参加させるなど、話題に事欠かないが、演歌というよりムード歌謡といったほうがしっくりくる。それもそのはずで、元はハワイアンを得意とする実力派。このベスト盤にもハワイアンが収録されるが、垂涎はハワイアンの大御所 大橋節夫と共演した「七夕の恋」だろう。ハワイアンの柔らかい抒情と、七夕のロマンチックな雰囲気がマッチした佳曲だ。東芝EMIのシルキーな録音は、演歌にはやや異色なタッチだが、渚ゆう子なら許せるという微妙な感じ。
ゴールデンベスト 八代亜紀(1974~81)

演歌の女王として君臨した、昭和の名歌手のテイチク時代の録音集。1枚目がベスト盤、2枚目がカバー曲集。独特のハスキーで男っぽい節回しは、今も健在の美貌とのギャップが、すごい存在感となっていた。ずいぶんとベテランのように思っていたが、実は百恵ちゃんと同じ時期に被っている。この辺りが昭和歌謡のパラドックスなのであるが、古賀政男風の伴オケがいかにも昭和の赤ちょうちん街を演出する。2枚目のカバー曲集が歌のツボを押さえた名唱揃いで、実際の巡業でもリクエストに応えていたのかと思うような感じで楽しませてくれる。テイチクのベスト盤は、アナログっぽいというか、ナローレンジのものが多いが、モニター調にぴっちり伸びると普通に聞こえることが確認できる。あとは質感がシルキーにまとまるかだが、この辺が難しい。
石川さゆりベスト40(1973~2013)

アイドル歌手からの転向で一代決心した「津軽海峡冬景色」から、ジャズ歌謡の「ウィスキーがお好きでしょ」まで、演歌一筋とはいかない40年の芸歴を広く集めた3枚組。ほとんどはコロンビア時代のものだが、ポニーキャニオン時代に録った3枚目の昭和歌謡のカバー集は、伴奏にビックバンドを従えたりと、意外と力の入った内容で、自身もタンノイを自宅に置くなどこだわりのあるオーディオファンにも納得の音質を誇る。





 オマケに、ジェンセン2wayの種明かしとして、各々の特性を以下に示す。

 まずはJensen C12R単体の特性とパルス応答。80~8,000Hzの1940年代の電蓄-AMラジオ対応。





 次にジェンセンを3.5kHzクロスで切った特性。




 エミネンス AD1001の特性。ベリンガーのチャンデバのクロス表示に若干のずれがあって、3kHzのつもりが3.5kHz付近にあることが判る。注目すべきはクロスで切った後も1kHzパルスを盛大に拾っている。ここがアメリカン。このおかげで、下のボーカル域とのつながりが良くなってる感じもあるが雑味も多い。





 これらを合わせると、以下の特性に。ジェンセンの暴れん坊将軍を、高域のドライバーが甲冑で覆っている感じ。表面はフラットなのに、内心は高調波歪みがいっぱい。高貴なる戦闘態勢に入った音。





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