20世紀的脱Hi-Fi音響論(シーズンオフ・トレーニング)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「70年代歌謡曲プレイバック」は、ジェンセンの安物スピーカーで巨大なモノラル・ラジカセ風サウンドを構築し、歌謡ショウを興じる日常を書いています。
70年代歌謡曲プレイバック
【テレビっぽい音】
【歌謡曲の周辺人物】
【私なりの解決手段】
【がんばれ歌謡曲】
夢は夜開く
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


70年代歌謡曲プレイバック

【テレビっぽい音】


 邦楽ポップスに明け暮れた後に話題にしたいのは、その近所にある歌謡曲となった。アイドル、演歌、とお茶の間のゴールデンタイムを飾ったあの歌たちである。アイドル歌手は、1971年の南沙織から1985年の松田聖子休業まで、というのが通説だが、個人的にはアナログ・マルチ録音の時代というほうが、オーディオ・オタクらしい響きがする。前段の「和モノ」が背伸びしたい若者の音楽だとすれば、家庭という温室のなかで気軽に耳にすることが多かったのが、通称「歌謡曲」である。アイドルと演歌とは、子供と両親という感じで、両親が抱いたかつての恋心を改めて確認したり、子供がどういうオトナになりたいかをシミュレーションするようなところがあった。けして深夜放送でも携帯プレーヤーでも、パーソナルに音楽を独り占めするようなものではない。

①テレビっぽい音
 どこの家のお茶の間の中心にはテレビがあった。一方のステレオはプチブル(中流家庭)の豊かさの象徴でもあった。ステレオは、テレビよりも高音質でなければならなかったのだが、大きな違いはテレビが1978年までモノラルで、それも一部の歌謡ショウのみ解禁されただけだった。ニュース番組はともかく、テレビアニメのほとんどは1990年代初頭までモノラル音声を標準としていた。現在のホームシアターの切っ掛けを作ったのは、1981年から製造されたパイオニアのレーザーディスク(LD)プレーヤーで、ステレオでPCM音声を再生できた映像機器として唯一のものであった。爆発的に売れたのは1996年のDVDとドルビー・サラウンド以降だが、それまでの間はテレビとステレオの間には、大きな谷間があった…はずであった。

 この仮定がもろくも崩れたのは、1980年の瀬川冬彦のコラムで、1980年代のシステム・コンポの状況を、以下のように辛くも語っている。

  •  いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーが、よく売れる、というのである。

 こうした批評を読んで「歌謡曲は所詮、音が悪い」「歌謡曲には高級オーディオは似合わない」という意見にいたる人も多いことだろう。しかし、ここでちゃんと読み替えれば、テレビっぽい音が歌謡曲の真髄だということになる。

 テレビ音声について、1967年に長岡鉄男が「原音再生」というコラムで、真空管テレビの音響について以下のように述べている。

  •  ではローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、実例としてテレビの音声を上げてみます。家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。

 加えて、テレビの音声電波が音をあまりいじくることなく素直だとコメントし、5極管のシングルでジャリジャリ鳴らすのが良いのだとした。
 では「テレビっぽい音」というのは、どういう音のことを言うのだろう? ヒントはテレビに内蔵されているフルレンジ・スピーカーで、10~16cm相当の楕円スピーカーと2~5Wの小出力アンプとの組合せになる。テレビもFM音声の端くれなので、基本的には15kHzまで伸ばせるのだが、実際はブラウン管の高周波ノイズである15,750Hzとの干渉を避けるため10kHz付近で切ってある。逆に、明瞭さを担保するため、中高域を少し強く出してある。いわゆるAMラジオのそれと大きくは変わっていないのだ。最近のRadikoで聴くAMラジオの音も、高音のガサガサした感じが残っているが、言葉の明瞭度を失わないために子音の2~6kHzを強調しているのである。


テレビの内部構造。左からナショナル、日立、ソニー。少し大型になるとツイーターが付いていた。


 個人的には、1960年代の放送録音は素直だが、1970年代はもっとアザとい音に変わったと思っている。今のYoutubeで聴ける1970年代の音楽番組のほとんどは、ビデオテープでの音声なので高音がこもっているが、1980年にほど近くなってくると少し甲高い音に気付くはずである。かつて生放送で聴いた歌謡曲の輝きは、古い=ローファイとは少しイメージが異なる。狭い帯域ながら、高域の張った音声なのである。同じ理由に、CBSソニーのレコードが旧コロンビア・カーブでカッティングしていたという都市伝説があって、現実はAMラジオでのプロモーションのため、マスターテープより少しドンシャリに味付けするのが、歌謡曲では標準的だった。そして、マスターテープのまま原音でCD化されると、昔日の輝きのない、フラットでカマボコ帯域の音声に幻滅するのだ。こうしたラウドネス闘争はイタチごっこの状態にあって、最後はJ-POPサウンドにいたることになるが、この際、昭和の歌謡曲のサウンドというものを、ちゃんと評価しておきたいのだ。


②国営放送サウンドの厚い壁

 日本国民のオーディオ感は、NHKの放送グレードで育ったといって過言ではない。いわゆるBTS規格で統合されているが、NHK自身の製品はない。全て国内メーカーとの共同研究で成り立っている。デンオンのカートリッジ、三菱電機のスピーカー、ソニーのテープレコーダーなどが有名だが、放送業界らしくマイクにも名品が多い。東芝のBベロ、ソニーの漫才マイクなどは、音質を左右するうえで印象的なサウンドを持っていた。Bベロが近接効果で温かい胸声を含むクリーミーな音なのに対し、漫才マイクは怒号に近い過入力にもビビらない明朗な音。表現そのものにも大きな影響を与えている。

 こうしたサウンド・テイストの違いについて、BTS規格であれば全て同じだと思うのは間違っている。例えばデンオンのDL-103、ダイヤトーンのP-610と言えば、NHKの放送規格を前面に出した平均点の優れた能力をもっていたが、この2つはやや違う性質をもっている。P-610はリボンマイク全盛期のサウンド傾向を示しており、音声モニターらしく、柔らかい低域、明瞭な高域という、小音量でもを聞き取りやすいように若干のラウドネスを利かしてある。音響の中心は150Hz付近と2.5kHz付近にある膨らみである。対してDL-103はFM帯域である70~15,000Hzを過不足なくトレースするように設計されており、RIAAカーブのターンオーバー500Hz、ロールオフ2120Hzの付近で起こるゆがみにかなり神経を注いでいる。つまりこの帯域の過度特性を抑え込んであるので、若干くすんでいるように聴こえる。これはP-610の時代の設計思想とは逆なのである。この違いは、昭和30年代と40年代の設計思想の違いであり、Bベロ、漫才マイクと同じくらい性格の違うものである。

昭和30年代




昭和40年代





 1960年代が真空管ラジオからFMステレオへと大きく飛躍した時期とすれば、1970年代は逆にNHKの質実剛健さを基準にしたサジ加減でオーディオを語っていたように思う。これは1960年代はただステレオであれば売れたが、1970年代は100Hz以下の重低音、10kHz以上の超高域の再生能力にポイントが置かれた。ブルブル震えるウーハーのテレビコマーシャルに歓喜し、スズムシの音声がそれらしく聞こえるかに耳を済ましたのである。
日本人らしく言ってることの裏を探ることが大切なのだが、オーディオほど抽象的な言語で埋め尽くされている業界も珍しいだろうから、その基本であるNHKの放送規格を知って置く必要があるのだ。個人的に一般的なオーディオは、150~6,000Hz、40dBのAMグレードでさえ、ちゃんと再生していることは稀だと思っている。試しにAMラジオの音声をイヤホンからステレオにつないで再生すればすぐに判る。AM放送の音が悪いのではなく、スピーカーが重低音と超高域抜きにはバランスが取れないのである。言ってみれば、化粧なしでは外を出歩けない、そういう状態が一般的になっている。BTS規格を見直すとは、スッピンのオーディオを知ることである。とはいえ、生野菜をかじるようなことはせず、サラダにして食べるという程度のアレンジをしている。


③家庭用ステレオでの正論
 以上のBTS規格は、誰でも享受できる国民的なオーディオ水準を示しているが、一般に市販されるオーディオ製品は、明らかに国営放送以上の音質という謳い文句がないことには売れない。そうはいっても、低価格帯のオーディオは歌謡曲を真正面から相手にしなければ活路が開けない。そのジレンマのなかで、自分たちの製品こそは(歌謡曲も含めて)高音質で聴けます、というメッセージを出さなければならなかった。
 例えば、サンスイ AU-607の開発者は、事前の代理店向け試聴会で、森進一の個性的な中低域の味が足らないという注文を受けて、中低域のスルーレイトを増やす改良を急遽行ったという。ビクター SX-3の開発者は、最近になってクリプトンでKXシリーズの設計をしているが、クロスオーバーを3.5kHzにすることで、ボーカル域でクロスオーバーを置かないこと、ウーハーの高域を滑らかに減衰させる、などの工夫がされている。
 デンオン DL-103はBTS規格の仕様で、低域から高域にかけて機械インピーダンスを一定に保つようにしてある。後に高域での特性を改善するために、カンチレバーの共振点を上げつつ、コンプライアンスを下げる製品も出していたが、高域の繊細さと引き換えに、キャラクターの違いも味付けとして加わってくる。こうしたキャラクターの差が、カートリッジ選びの面白いところではあるが、RIAAカーブに合わせた動的な理論値に注目した製品はDl-103の他にあまりないのである。

ビクター SX-3 サンスイ AU-607 デンオン DL-103


 こうした正統的で地味な取り組みは、今になってみれば判るのだが、飽くなきラウドネス闘争に対する常識として注目して良いだろう。つまり150~6,000Hzという帯域と正しく向きあうことが鍵なのである。しかし、多くのアンプは高域の伸びを重視し、スピーカーは3wayでボーカル域をギタギタに切り刻んだオーディオが主流だった。

④録音スタジオのローファイ処方箋

 では、昭和時代の録音スタジオではどうだっただろうか? これが意外にまともなモニター環境にあったのである。現実の録音スタジオでは、ダイヤトーン2S-305からアルテック604E~Gに変わる過程にあった。東芝EMI、クラウン、モウリスタジオなどは604Eを使用していた。なぜか、タンノイは敬遠されていたが、実際に英EMIはこの頃にJBL 4325を導入していたのと、ビートルズが604Eで最終セッションをモニターしていた(初期は605A)のを知っていてのことだと思われる。タンノイを使用していたのは、日本コロンビア、細野氏のLDKスタジオなどであり、いわゆる大火災のあった後の新生タンノイ製である。ビートルズ・ファンの間で取りざたされるタンノイ IIILzは、むしろ東芝EMIのディスク(イコライザー、リミッタ抜きの平面的なサウンド)への反発からきていると思われるが、実際にはどこのスタジオにも使われていない。オーディオファンが騒ぐほどJBL 4340シリーズが導入された実績はなく、日本ビクターでは4325をいち早く導入したが、現在でも4331がマスタリングルームで活躍している。あとロック向けとして、日本で圧倒的な人気を誇るJBL 4311は、ほとんどのスタジオで使用実績はない。アルファ・スタジオとCBSソニーは、まだ創設して間もないウェストレイク TM2を使用していた。これらは1980年代にはTAD、キノシタが導入されるようになる。これらのスピーカーに共通なのは、マニアの間で取りざたされるワイドレンジな3~4wayでの使用は避けて、中域の密度を大切にしたうえで、2wayで高品質というスタイルが基本にあった。個人的には、このくらいのグレードで歌謡曲を聴けば、アナログ時代の録音の良さを見直す切っ掛けになると思う。
 
ダイヤトーン 2S-305、アルテック604E、JBL 4325


 では、ラジオっぽい音はどこで作られたのだろうか? 色んな人の証言で、1985年頃までは録音スタジオにオーラトーン5Cという小さなフルレンジスピーカーがあり、モノラル音声でのバランスをチェックする習慣があったと言われる。理由は、有線放送やAMラジオの視聴者にもバランス良く聞こえるミックスを目標にしていたというのだが、とどのつまり、音楽の核心的な部分はモノラルで伝わるように配慮されていたのだ。そのターゲットは1970年代の常識からいえば、ずばりラジカセのことである。
 オーラトーンは完璧なカマボコ型特性で、適度なラウドネス効果を自然に与えることのできる特殊な特性をもっていた。以下のラジカセとの特性を比較するとデコボコの山が微妙に反転している。




Auratone 5Cと周波数特性


1970年代初頭のラジカセの特性


 
ラジオや有線での視聴者が圧倒的に多かった時代で、リクエストという手段がヒットチャートに組み入れられていて、レコード売り上げと連動していたこともあった。ラジオで最初に耳に飛び込んできて、ちゃんと聴こうとしてレコードを買う、というマーケティング手法が大きな歯車として機能していた。ようするにモノラル再生はJ-POP以前のミックスバランスの基本形になっている。一方で、ニューミュージックの最先端を歩んでいた細野晴臣氏は、トロピカルダンディーの辺りから、録音エンジニアにモノミックスでの確認を要請して、少し薄くタイトなドラムとベースを好んでいた。根っからのラジオ派だった大瀧詠一氏も、晩年はAM放送でモノラル試聴するのが良いような意味のことを言っていた。ちょうどJBL 4330を揃えて、1970年代音源のリマスタリング環境を整えていた時期である。それとこれとラジカセはリンクしてたのであるが、1970年代にその間を取り持ってくれたのがミッシングリンクが、オーラトーン5Cというモニタースピーカーだったわけだ。


⑤エアチェックからみた歌謡曲
 昔、FM誌というのがあったが、本来の目的は番組表でエアチェックの計画をたてるために、2週間分の番組表を掲載し、それと並行して、ミュージシャンやオーディオ機器の話題などを色々と振りまいていた。ところで、その番組表というのが凄くて、放送した曲をリストしてあって、しかもそのまま切り取ってカセットのインデックスにできるようなものまであったという。そして誰もがエアチェックに最初に使ったのが、モノラル・ラジカセである。



 1970年代といえばFMステレオ放送が核にあったし、ステレオでない録音は恥ずかしいことでもあった。この頃に芸能活動10周年を迎えた演歌歌手の現在の音源は、最初にヒットしてリリースされた頃のものではなく、ほとんどが「オリジナル歌手」によりステレオに再収録されたもので、最初に真空管ラジオでも堂々と鳴った歌声はほとんど聞けない。しかし、たとえFM放送でも、多くの人はモノラルのラジカセで聴いたはずである。AM放送が6kHzなのに対し、FMは10kHzは平気で再生でき、モノラル・ラジカセの小さなフルレンジでも音質の違いが明瞭に分かった。あと、電波状況が悪ければモノラルのほうが雑音が少ないということもあった。そして同じFM音声でもテレビはモノラル放送だった。ルパン三世やベルばらのテレビアニメの音声は、全てモノラルである。こうした様々な限界のなかで、モノラル音声はまだ生き残っていたのである。
 ちなみに、ステレオ・ラジカセが本格的に売れはじめたのは、1977年にソニーが売り出したジルバップ CF-6500からで、それまでは普通のステレオに対する色物で見られていた。実際には1968年から日立などがアメリカで電池駆動のステレオ・カセットプレーヤーを発売しており、TIME誌やPLAYBOY誌で特集が組まれたりしてかなりの注目を集めていたが、日本でのステレオの大衆化は10年の歳月が必要であった。ジルバップは俗にバブルラジカセと言われる大型ステレオ・ラジカセのはじまりだが、おそらく竹の子族が流行した背景には、ディスコブームの後押しと同時に、屋外での簡易PA装置としてステレオ・ラジカセがあってのことだと思われる。
 1979年には、サンヨー「おしゃれなテレコ」、ソニーのウォークマンが、新しいステレオ時代を牽引していく。そこに至るまでの時間はFMステレオ放送開始から10年に満たないが、その時代こそが1970年代の特異な位置に相当する。この時期を境に、一気に高層ビル街に代表される大都会の価値観に誘導されていくのであるが、その結末となるバブル時代の印象が強いために、1980年代への進化論として1970年代にあったシグナルを嗅ぎ取ることが多くなってしまう。つまり、1980年代こそが1970年代の欲望の成就であると思われている。しかし1970年代は、もっと多様な欲望が渦巻いていた。その混沌さをまっすぐに見据えるのが、モノラル音声である。


SONY ICF-1980のカタログ(1975)

 これらを考え合わせると、1978年頃までは、ラジオはモノラル、レコードはステレオで、という棲み分けのあったことが判る。現在は、当時の歌謡曲がラジオで流れることはないので、必然的にステレオで鑑賞することになるが、1970年代の流儀に従うと、最初に耳に飛び込んでくるのはモノラル・ラジカセからであり、気に入ったらレコード屋さんで買う、という流れであった。その意味では、モノラル:ステレオ=10:1という割合以上で、楽曲の特徴を聞き流していた可能性も否定できないのである。スタジオモニターから想像する生音のさく裂するような世界とは対局にある、大衆文化の実像がラジカセに詰まっているといって過言ではない。
 歌謡曲のキラキラした雰囲気に騙されて、広帯域なオーディオセットを志向しがちだが、それがラジオ向けにキャッチーな音を出すデフォルメと考えたらどうだろう。週刊誌のワンカットに使う写真を、そのまま等身大ブロマイドに引き延ばしたくらいの違和感が出て当たり前である。ハイビジョンが出たとき、一番困ったのは時代劇で、ちょんまげのカツラの付け際が見えてしまうので、メークに数倍の時間が掛かるということらしい。同じことは、1970年代の歌謡曲のマルチ録音にも言えないだろうか。
 1977年のラジカセに実装された2wayスピーカーは、スペック上は50~18,000Hzでも、実際は80~12,000Hzという性能に収まっている。それもAMラジオ用のフルレンジに7kHzクロスのスーパーツイーターを被せた仕様だ。つまり、AMラジオとの下位互換を保持しながら、Hi-Fi対応になっている。これが1950年代のことではなく、1980年代に差し迫った時期のことなのだ。この辺が、FMステレオに合わせた現実的な聴覚にそった性能なのである。



1977年のステレオ・ラジカセの特性図(フルレンジ80~6,000Hz+ツイーター7~12kHz)



⑥有線放送の聴き手
 有線放送は、商業店舗でのBGMサービスとして、大阪から始まりやがて全国に広がったものだが、実はヒット曲のリサーチに欠かせない存在となっている。このBGMサービスの肝は、放送リストを電リク(電話リクエスト)に応えてアップデートしていく手法で、放送回数やリクエスト数そのものがランキングとして成立する点である。そしてその無名の聴き手たちの趣向が、非常にセンス良かった点にある。おおよそ昭和の歌謡曲のレコード売り上げは、有線、ラジオでのキャンペーンで決まるというのが定番であり、直接的な売り上げに関与していない有線での賞は、聴き手本意の名誉ある賞と考えられている。
 
有線放送の設備そのものは、ほとんどは16cmフルレンジを使った天井スピーカーであり、良くても部屋の隅に設置されたブックシェルフスピーカー。そして部屋のどの位置からでも聴けるようにモノラル音声である。
 もともとBGMサービスは、アメリカのMUZAKが始めたのが最初で、エレベーター・ミュージックと呼ばれた。この天井スピーカーとして開発されたのが、アルテックの409、205などで、現在も後継機種がエレボイで生産されている。これらのユニットは非常に特殊で、ひとつは中高域の指向性の広さ、もうひとつは空港のジェット機の騒音に負けないように、ラウドネス補正でも特別なDカーブに準拠している点。おそらく日本の消防法での場内アナウンス設備も同じ傾向にあると思う。こうした特性は小さい出力でも、人間に知覚しやすいように調整されたトーンだった。


EV 409-8Eの周波数特性と音圧測定カーブの数々(点線がDカーブ)


 一方で、1990年代以降の店舗BGMで、一番の勢力を誇ったのはBOSEで、現在の有線放送でも、まず筆頭に挙げられる商品となっている。いわゆるJ-POPのサウンド指向に相性の良い特性で、他の日本製メーカー(オースミ電機、パナソニックなど)もそれに追いつけ追い越せの商品展開となっている。

⑦電車のなかのシャカシャカ音
 ラウドネス闘争のクライマックスは、ウォークマンのように雑踏に躍り出たパーソナル・オーディオである。最初は音楽と一緒に雑踏へ飛び出た瞬間に、見ている風景がプロモーション・ビデオのように見えた、という新鮮な意見があった。しかし、現実には電車通いの高校生から漏れるシャカシャカ音で埋もれていた。つまり、電車の騒音に勝てるくらいドンシャリでないと、何を歌っているのか判らないくらい、劣悪な条件で音楽を聴き続けることが起こっていた。1990年代のJ-POPのミリオンセラー連続の背景には、ティーンズの購買力が牽引していたが、そのために売れ線の音楽全体が、騒音に打ち勝つ人工的な電子音で埋もれるようになった。
 これに応じて、スピーカーで聴くというオーディオの基本路線が崩れて、日本製のオーディオ製品は死滅したと言っていいだろう。時を同じくして、お茶の間の歌謡曲も姿を消した。スター誕生、ザ・ベストテンの相次ぐ番組終了が象徴的な出来事だったが、親と一緒にテレビで音楽を聴くというのが、ダサイように感じてしまったのである。アイドルも応援して育てるということはなくなり、既に完成されたファッション・モデルが気の利いたトークをする、というものに変わっていった。
 あらためて家庭のお茶の間に戻ってみると、子供向けの音楽はアンパンマン、トトロというふうに、かなり定番化が進んでいて、親のほうも保守的になっているように感じる。「およげたいやきくん」のようなノベルティ・ソングを作る精神的な余裕は、もはやなくなっているのだ。NHKが「秘密結社 鷹の爪」みたいな昭和臭いギャグマンガをあえてやらなきゃいけないのは、時代の流れといえば皮肉である。明らかに爺さんと孫のゴールデンタイムを狙っているのを見透かされているような気がする。親子の団らんは既に過去のものとなっているのだ。

⑧オーディオ機器によって変わる聞こえ方
 以上のように、当たり前のようだが、たかが歌謡曲といえども、オーディオ機器によって聞こえ方が異なる。それも些細な違いではなく、誰でもハッキリ判る違いがある。それが文化的な領域にも影響を及ぶことも考えてきたつもりだが、単純な高品質をうたったオーディオ理論では押し通せないことも判るだろう。ただ、今となっては、昭和の歌謡曲という括りで過去を総括すると、統一した見解は示したほうが良いかもしれない。それを難しくしているのが、放送業界とオーディオ業界の確執である。テレビは誰もが心地よく聴けるように工夫され、オーディオは特別に優れた性能が求められる。ところが20万円以下のオーディオセットでは、基本的にそれほどの格差を期待できない。それなら、別にいいじゃない、幸せならば、という風に流して、歌謡曲ならキッパリと「テレビの音が良い」と言ってしまえばいい。


【歌謡曲の周辺人物】

①編曲家とスタジオ・ミュージシャンの凄業
 歌謡曲には、まず歌手の名前、そして作詞/作曲の名前と続くが、実は歌謡曲を歌謡曲らしく飾っていたのは、編曲家とスタジオ・ミュージシャンたちだった。
 特に1970年代の編曲家は、従来の洋楽コンプレックスを乗り越え和製ポップスも板に付いた時期で、どんな音楽ジャンルもパクってしまう恐るべき手腕で、マルチ録音を駆使しながら国際色豊かな音楽を演出していた。特に神経を注いでいたのがイントロの部分だったらしく、編曲家が自由な発想でアレンジできた4~8小節の物語である。イントロ・クイズというのが成り立つほど、その個性は非常に高かった。
 これらの個性豊かな編曲家を育成するのに大きな役割を担ったのが、ヤマハのポプコンで、素人の作曲部門があった時代には、歌詞と旋律だけのオリジナル曲を、それらしく審査員に聴かせるための事前作業の部署があり、そこを入り口に業界へ入っていった人も多かった。中島みゆき、長渕剛などが登場したおりも、バックで支えていたのは、同じような年頃の若いポプコンの編曲家であった。そしてデモテープの演奏を担当する人たちも、後に鉄壁のスタジオ・ミュージシャンとして活躍した人が多い。歌手もボーカル・スクールにいた頃の庄野真代とかがエントリーされていたというのだから、驚くほどの逸材がひしめいていた。こういう若い力が後押しをして、業界全体が活性化しながら、歌謡曲を盛り立てていたのである。
 それもこれも、日本語での歌の需要が絶えなかったからであり、カラオケというのが国際共通語になったのは、まさに日本人の歌そのものへの愛情のなせるワザである。実は、このカラオケを生演奏でやってたのが1980年代までの歌謡番組であり、ステージでビックバンドを従えて歌う歌謡曲は、周到な準備のもとに進められた一大エンターテインメントであった。
 このリハーサルの手続きが嫌で、テレビ出演を拒否するシンガーソングライターも多かったが、基本的にコンサートに来てもらいたいというのが本音だったらしい。当然、レコード大賞、歌謡大賞にも選ばれなかったワケで、1980年代後半には業界人の自画自賛の場に感じてしまったのは、やや残念な感じである。歌謡曲からJ-POPに変わるとき、もはやオトナが口を挟む余地などなくなっており、名誉よりも売り上げのほうがずっと大きな意味があった。バブル時代の置き土産は、そんなところにもあったのである。
 もちろん、編曲家やスタジオ・ミュージシャンのような裏方には、そうした名誉も売り上げもないが、時代の流れがアナログ・マルチ録音からDTM主流になったときに、スタジオ・ミュージシャンの役割は限定的になっていった。今さらながら、生バンドで奏でていた歌謡曲の、一期一会の瞬間を愛おしむ感覚に驚くのである。

②アイドルという芸能ドキュメタリー
 アイドルには花がある。しかしもっと大切なのは、大人の女性へと一歩一歩駆け上る、その可憐な姿である。まさしく応援することで成長するテレビのなかのヒロインという感じで、ブラウン管の向こうにいるにもかかわらず、愛嬌あるしぐさを振りまくと誰もが心和んだ。等身大ブロマイドを部屋に貼り付ければ、都会の天使、渚のヴィーナスという感じで、季節ごとに出るシングル盤を聴くのも楽しみであった。明星、平凡などの芸能誌をみると、少女マンガ顔負けの衣装で、あることないことがイメージで書かれている。それでも少年少女の心に夢見させるには十分だったし、日本国民全体がリアルなドキュメンタリーとして、アイドルの成長を見守っていたのである。
 このようにアイドルの存在は、マスメディアを総動員した結果であり、逆にテレビや週刊誌での話題がなくなった後に、歌だけで評価するとなると、これは大変に難しい。やはり、あの愛くるしい仕草で歌ってる姿がないと、可憐さの意味が半減するのも事実だ。現在では、音楽活動を専業にする人たちをアーチストと呼ぶくらいなので、かつてのアイドルような歌手活動はあり得ないと考えて良いかもしれない。今はソーシャル・メディア(ブログ、ツィッターなど)で芸能人が情報発信する時代で、結婚報告も炎上騒ぎも全てネット上のこととなりつつあるが、言葉のメディアが芸能人の存在をこれほど左右することは、昭和時代にはなかった。昭和のアイドルの印象は「歌と振付」で大筋要約できると言っていい。
 作詞/作曲家と歌手の関係は、先生と生徒のような師弟関係にあって(実際に先生と呼ばれている)、これはアイドルであろうと演歌歌手であろうと変わりない。作詞家の先生たちの本を読めば、芸能界でのタレント振りをどのように発揮させようかと、色んなかたちでアイディアを練り続けたことが判る。そういう意味では、歌詞を書くことを通じてアイドルのシナリオを作った点で、放送作家や番組プロデューサーと似た感じもなきにしもあらずという感じである。

 で、アイドル歌謡の音楽的な要点は、歌がそれほど上手くなく(むしろ下手)、代わりにバックのアレンジが気の利いた演奏をして支えているという感触がある。聴き様によっては、BGMに載せたイメージを歌手が踊りながら説明する、という言い方も可能である。今も昔も、歌謡曲の作曲の方法に「メロ先」という業界用語があって、メロディーやアレンジを先行して作り終えたあとに作詞家が歌詞を作る、という方法である。当時の編曲家の話でも、アレンジしたときの題目は無題の分類記号だけのものも多く、その曲が世に出るときは数か月も後ということもあり、どの曲をどういうふうにやったという思い出がない(それほど多忙だった)ということらしい。つまり、どういう歌手が歌っても楽曲の骨子が判るようなアレンジが施してあったのだ。当時の感覚からすれば、楽曲アレンジはアイドル歌手のBGMという印象だったが、実際の楽曲構造は逆であったということになる。
 それだけに、巧みなバック・バンドの演奏をダイナミックに鳴らすのと同時に、非力な歌手の話し言葉のような些細なニュアンスを拾い上げる、という矛盾した課題を解決しなければならない。テレビっぽい音のバランスにヒントが隠されているのであるが、200Hzと2.5kHzの付近をドンシャリにしたカマボコ型特性、という枠組みを守ったなかで高音質化を図るということになる。これは広帯域、高出力の規格競争ではなく、狭帯域で俊敏という動的なクオリティが求められる。

 あと、CDという長尺フォーマットでリリースされて悩ましいのは、シングル・ベスト盤かオリジナル・アルバムか、という選択肢がある。これは歌謡曲の本来のスタンスはシングル盤であると思う。その歌手がどういうタレントだったか、という表の顔はシングル盤でほぼ全て網羅されていると考えられる。一方で、アルバムは録音時の時代の雰囲気を感じることができるうえ、本当のファンだけが楽しめる、プライベートな遊びが多く含まれている。その分、その歌手の成長の過程については、ソフト費用の点でもより一層の出費を覚悟しなければならない。その点でも、まずはベスト盤をちゃんと聴いたうえで、個々のアルバムに展開したほうが良いと思う。これがニューミュージックでは逆転して、むしろコンセプト・アルバムからシングルカットという感じになるので、アルバムが本来のフォーマットになる。この点が、シングル盤で先行発売される歌謡曲との差なのである。成長するアイドルの姿を知るのは、シングル・ベスト盤が最もふさわしいフォーマットだ。


③ラジオ・パーソナリティー
 深夜放送の人気パーソナリティーも、即興で出る話術の巧みさでライブと並ぶ役割を担ったといえる。それだけでも楽しめるのだが、FMがどちらかというと、既にヒットした曲に限定して流すのに対し、まだあまり知られない曲はAMのリスナーのほうが良いアンテナをもっていた。音楽の質を選べば、AMだったのである。ところが、AMラジオの音は通常のステレオ機器で聴くとどうしても変な音に聞こえる。胸声というか、ボソボソ話しているように聞こえるのだ。これはラジカセのほうが、すんなり自然に聞こえることが多い。このラジオ風の音を、通常のオーディオと同じくらい、ちゃんとした音量で聴くことができるようにするには、非常に険しい道があったのだ。普通の人なら、AMの音が悪いで済ましてしまうが、私はそう考えない。


④日本語のもつ特殊な事情
 最後に、歌謡曲の本当の主役、日本語の問題である。歌謡曲が、既往のオーディオ理論に馴染みにくい特殊な事情として、アジア系言語の質感が、喉音のニュアンスに頼ることが多く、200~1,.000Hzに集中するのに対し、欧米系が子音の2~5kHzにニュアンスが集中することの違いがある。このことも、中高域のキャラクターで音色を表現する、伝統的なオーディオ理論と乖離する原因のように思う。つまり欧米の歌手は、楽音としての歌と、言葉のニュアンスは分離しているのに対し、日本語は楽音も言葉のニュアンスも狭い帯域で重複している。
 それに加え、
日本語の歌に全般に言えるのは、アレンジがヘテロフォニー(ユニゾンに近い平等な音価で各楽器が扱われるアレンジ)に近く、低音楽器と高音楽器の質感が明確に分離されずに、ボーカルのように演奏してしまうことである。オノマトペ(擬音)に似た、ある種の言語感覚が、どの楽器のなかにも付きまとい、それがエキゾチックと評されると同時に、オーディオの言語に合わないことも散見されるのである。そのためにも、低音と高音のタイミングが、ボーカル域と同じように揃っているのが良いのである。
 こうした、どの楽器の音も等価に扱うことに慣れ親しんだのが映画業界や放送業界である。つまり言葉も効果音も一緒の扱いで流され、どの周波数でもニュアンスを観客まで届けなければならない。そういう意味では、アルテックのVOTT、RCAの家庭用ラジオは、ボーカルを中心とした表現に長けているともいえよう。しかしこれさえも、1940年代の音響理論の集大成であり、1950年代以降のハイファイ技術は、それ以上のクオリティであることを宣伝することで市場を伸ばしてきた。
 しかしそれは真実だったのだろうか? これが全く違うように思うのだ。つまり、経験工学的にリアリティを求めてきた1940年代の音響理論のほうが、電子工学的に分析された1970年代よりも根本的な事柄を煮詰めており、音楽として向き合うべき課題や格闘は、オーディオ業界が投げかけるスペック競争よりも、より効果的な音響技術という意味で、正しく表現されなければならない。その表現の矛先が、ボーカル域に隔たったニュアンスの集積であり、それと等価に並列される楽音なのである。高音楽器と低音楽器の役割の認識という楽典的な理解は基本的に存在していない。これが歌謡曲のオーディオ的な理解を阻んでいるように思えてならないのだ。



【私なりの解決手段】

モノラル・ラジカセを巨大化しろ!

 今回の格闘で分かったのは、歌謡曲を取り巻くオーディオ環境が、当時市販された日本のB&K社製ステレオでは表面的にしか理解できず、かといって後のJ-POP進化論からは切り離されている楽曲があまりに多いことである。このため、日本のポップスがアナログ録音全盛期に残した足跡を、演奏テクニックの魅力と共に評価する機会が失われたと言っていいだろう。
 1975年頃の録音エンジニアは自宅で、JBLについてLE8TからL88、4311、L200と経済状況に合わせ幅広く使用していたが、当のJBLを扱う高級オーディオ誌は歌謡曲を全く評価していなかった。考えてみれば、テレビやラジオで無料で聴ける歌謡曲に対し、特別なお金を掛ける理由がそれほどなかったし、単純には、ブランド名を気安く呼ばないでほしい、という感じだろう。
 逆にオーディオマニアという用語は、今でもレコードマニアから軽蔑の意味を込めて使われることが多い。感性が正常であれば、ラジカセからでも楽曲の良さは理解できた、という最もな理由がある。このための楽曲解説を述べた著作も膨大に書かれるだろうが、音楽は実際に聴いてナンボのものである。当時を賑わした周囲のメディアから切り離されて後、あらためて音楽だけを鑑賞するには、直感的に判るように再生するオーディオ機器は必要なのである。

 そんなこんなの歌謡曲へのアプローチについて、私なりに思い付く手法を色々と書き出してみたのだが、結局はテレビの音をステレオにグレードアップするところで、ほとんどの人が躓いているという結論に達した。フルレンジでの試聴は、実にオーディオの基本である。AMラジオのレンジ感(150~6.000Hz、40dB)をちゃんと手中にしてからでないと、なかなか次のステップには進めないと思うのだ。最初から2way、3wayに進むと、自然な音のアタックやエコーのタイミングが判らないままで過ごすことになる。低域が、高域がと、蘊蓄を述べる、いわゆるオーディオマニアの耳が育ってしまうのだ。

 以下は、試行錯誤で組み立てたモノラル再生機材。ようするに巨大なモノラル・ラジカセのようなシステムになったのだが、1960年代のジュークボックスの技術を基礎にしている。費用で言えばCDプレーヤーだけがバカ高いが、他は安いものを掻き集めて、スピーカー・ユニットなんか2つで9,000円である。非常にコスパが高い。アルテックやJBLのウーハー、ホーンには手が出ないという負け惜しみと思っていただいてかまわない。これ以上のものが必要無いのだ。


②周波数特性
 以上のシステムで、再生周波数は70~12,000Hz、45度方向から聴いて70~8,000Hzでフラットであり、一般のステレオ・スピーカーがチャンネル・セパレーション保持のため5kHz辺りからロールオフすることを考慮すると、高域は出過ぎるくらい出ている。中低域のスピードが高域に勝っているため、基音に対する倍音の乗り方が自然に感じる。むしろ一般的な2~3wayのほうが、低音のスピードがずっと遅く、高音のパルス成分で音の立ち上がりで補っていて、低域が伸びているにも関わらずベースの音程が悪いのである。高域と低域のヒエラルキーというか、ハーモニーの構成が逆転して、頭でっかちなサウンドになってしまったというべきか。
 面白いのは70~1,500Hzまで+3dB/octで緩やかに上昇していることで、これは音が前のめりになる典型的なイコライジングであり、70年代のロックステージで活躍したJBL D130も同じ特性をもっている。おおよそ500~1.000Hzの抜け出しの良さで、中域の実体感は勝負が決まる。私自身は、1950年代のJBL D130の特性を知ったうえで、家庭用のため安価な新品を購入できるJensen C12Rをあえて選ぶことにしている。よく見るとオーラトーンも同じような中低域の特性をもっており、いわばミニチュア化したライブPAということもできよう。しかしこの音響技術は1940年代から既にあるもので、ジャズバンドの生演奏と対抗するためにボーカルとギターの拡声用に開発されたものであった。このスピード感は、例えば密閉型ヘッドホンのほうが、低音が若干遅れて膨れるということで、どれだけのものか理解してほしい。それが30cm径のスピーカーからあふれ出すのである。
 こうした音響技術は、
時代の変遷でラジオに実装されたのであるが、いわゆるHi-Fi理論ではネグレクトされてきた。1970年代のラジカセでは当たり前に実装されていた10~16cmフルレンジは、その実行再生能力は150~6,000Hzで、その帯域だけを出すスピーカーは現在製造されていない。Jensen C12Rは、この帯域をステージ上で再生できるパフォーマンスを誇る原器なのだ。ラジカセだと12cmが標準なので、30cmで6倍、38cmで10倍、これだけのエネルギー感の違いが出てはじめてオーディオらしい迫力が出てくる。
 あと普通のステレオだとボーカルがビッグマウスになりやすいが、モノラル再生の効果もあって、歌手が部屋のなかで自然に語りかける。これは、胸声と子音を分離してタイミングがズレているのではなく、自然な発音で鳴っているからである。低域と高域のスピード感が揃っているので、ドラムがスタスタ決まり、ベースのテンポのインとアウトのタイミングが正確になり、歌のメロディーはほぐれたように流れる。ロックンロールとR&Bを生んだジェンセンならではの演出である。



Jensen C12RElectro-voice 205-8Aの特性(斜め45度からの測定)


 左:JBL業務用2135の特性、右:オーラトーン5Cの特性

③フィックスドエッジ
 フィックスドエッジとは、コーン紙の素材のままでエッジを作ったスピーカー。布やゴムでできたフリーエッジに比べて、Qoが高く低音が出ない、エッジの共振が激しく2kHz付近にディップが出やすい、などの欠点があり、今ではあまり製造されない。逆にQoが高いことで、低音のダンピングが効いて、ドラムやベースの弾けるようなニュアンスがピタッと収まるという利点がある。これは好みといえば好みだが、低音の質感が柔らかく太いほうが良いか、痩せて俊敏なほうが良いかという違いで、後者がフィックスドエッジの低音である。
 Jensen C12Rは超の付くほどハイコンプライアンスで、Qo=1.84である。通常はQo=0.3程度、古いロクハンでもQo=0.7であることを考えると、Fo以下の音はほとんど出ない。これほどになると、乗りこなしにコツがあって、密閉、バスレフよりも、後面解放のほうが低音が伸びることが判る。

   裸特性 後面開放 密閉
618B
SBH
Ultraflex



fo(Hz) 90 90 90 90
Qo - - 1.88 1.88
mo(g) - - 24.6 24.6
a(cm) - - 12.5 12.5
H(cm) 30 56 56 74
W(cm) 30 43 43 54
D(cm) 0 29 29 39
V(ℓ) - - 55 150
foc(Hz) 283 84 120 102



S(cm2) - - - 367
L(cm) - - - 20
fd(Hz) - - - 45.3


 30cmという口径が低音にほとんど功を奏さない、と思いがちだが、箱に入れない状態での低音特性は280Hzであり、これがダイレクトに駆動される中低域の下限値である。トータルでのスペック上は5cmのフルレンジ程度のものだが、中低音のスピードは半端ではない。一番の効用はボーカルの胸声で、10cmが唇、20cmが顔なら、30cmは胸像での実体感がある。この無用の長物こそが、オーディオの醍醐味であり、歌謡曲にこそ必要なスペックである。

④高次歪み=倍音
 真空管ヘッドホンアンプは、いわゆるバッファーアンプとして使っているが、ミキサーから過入力することで偶数の倍音(いわゆる高調波歪)が増えるようになる。デジタルもトランジスターも基本的に奇数倍音なので、ソリッドな5度の響きが強調されるが、三極管の真空管が間に入ることで、綺麗にハーモニーがそろうことが判る。真空管のバッファーアンプに過入力した分は、最終段のデジアンのボリュームで絞ってあげれば帳尻が合う。これと分割振動の強く出るJensenのワイドレンジ・ユニットが相乗効果になって、マスターテープの磁気劣化で失われた輝きが取り戻せるのである。こうした手法は、ギターアンプでは当たり前に使っているのだが、一般的なオーディオでは排除する方向にあった。ある時期からオーディオに透明感や奥行きを求めるようになり、こうした分割振動は邪魔だし、そもそも測定してフラットな音を求めるときには、単なる歪みにしか見えなかったらしい。しかし倍音こそが楽器の生命なのである。
 ちなみに音を突っ込みすぎると、倍音は増えていくが、ドラムのアタックが潰れる。高次倍音を取るか、出音のアタックを取るかで、幾分のバランスがあるようだ。音が華やかでキレイでも、音楽の躍動感が死んでしまう。かといってアタックがスマート過ぎても、空振りしてつまらない。この辺は色々と聴き込んで、そのときの感覚で決めるしかない。


真空管バッファを入れた1kHzパルス応答特性(奇数と偶数の倍音)


デジタルアンプのみでの1kHz波パルス波応答(奇数波のみ発生でソリッド)

⑤モノラル試聴
 一般的にはモノラル再生というと、モノラル録音をモノラル機器で再生することを言う。最初に思い浮かぶのはジャズで、1950年代のモダンジャズ全盛期を忠実に再生しようというのは昔からあった。お陰でモノラル・システムというと、ジャズ向きのアグレッシブなサウンドを思い浮かべる人も多いだろう。
 最近では、ビートルズのイギリス盤がモノラルであったため、モノミックスというのが話題になった。その後の1960年代ロックは、モノラル・ブームという感じである。それ以前から、ウォール・オブ・サウンドの創始者フィル・スペクターが、「バック・トゥ・モノラル」というコンピレーション・アルバムを出した辺りから、モノラルこそ1960年代の主流であることの認識が徐々に広がったが、最終的にはビートルズでこの流れは決定的になった。これの再生装置については、まだほとんどの人が考案しておらず、個人的には1960年代前後のジュークボックスのスタイルが最適であると思っている。
 では、歌謡曲は? というと、上で述べているように、1978年くらいまではモノラル試聴の機会が非常に多かったということが言える。1985年くらいでも、AMラジオや有線放送から生まれたヒット曲では、まだモノラル試聴は残っていた。問題は、ステレオがモノラルよりも高品質であるという、当時の常識といかに対峙するかということである。少なくとも、LPを購入するようなときは、ステレオで試聴しないともったいないと思ったことだろう。
 
ステレオ録音をモノラル再生することには批判が多いと思うが、テレビやラジオ向けの音声がごちゃ混ぜの歌謡曲を、そのまま拡大解釈して立派に聴かせるのは、モノラルの方が合っていると思う。当時はハイエンドであったモニタースピーカーに対し、オーラトーン5cのようなサブモニターが並行して使われ、1985年くらいまでは有線やAM放送での聴き映えを意識して、モノラルでの試聴用に使われていたという。要は1985年頃までのJ-POP以前では、楽曲のエッセンスはモノラルミックスに託しており、ステレオ音声をモノラルで聴くという行為はポップスに関するかぎりは正統性がある。 オーラトーンはラジオ的なバランスの底辺(ボーダーライン)だとすれば、Jensenは1940年代からステージパフォーマンスで培った原器である。Jensen C12Rはギターアンプのみならずジュークボックスにも使われた汎用ユニットで、その意味でも私の今回の方法は、それほど間違ってはいないのではないかと思う。ラジオ的なサウンドを迫力ある音量で楽しみたいとき、これに勝る方法はそれほどないと言えよう。

 ステレオ音声のモノラル・ミックスは、左右の信号を単純に足し合わせるだけでは、あまり意味がない。2.5kHz付近は音のプレゼンス(実体感)をコントロ-ルし、10kHz辺りはアンビエント(空間性)を支配する。1970年を前後して、この空間性が著しく発展し、かつEMTのプレートリバーブなどでブリリアンス(光沢感)も加えるようになったため、この帯域抜きでトーン・バランスをとることが難しくなっている。人工的なリバーブは逆相で打ち消しあうので、高域がカマボコに聞こえるのだ。
 私はミキサーでモノラル・ミックスしているが、左図のように、左右の信号の高域と中域のバランスを互い違いにして混ぜることで、上記の問題はほとんど解決される。高域と中域のバランスを、±6dBで左右互い違いにする方法で、擬似ステレオの反対の操作である。仮にこれを、逆-疑似ステレオ方式と呼ぶ事にしよう。
 もうひとつは単純なモノラル化は、中央定位させる中低域のバランスに隔たって、全体に下腹の膨らんだ中年太りのようなバランスになる。このため、低域を両chとも下げる必要がある。


 ジェンセン爺さんのスゴイところは、30cmという巨体に関わらずラジオのトークが全く自然なことである。スピーカーのトーンを整えるときに、まずやってほしいのが、rajiko、らじらる等のインターネットラジオでのAM放送の試聴である。もともとジェンセンのエレキ用スピーカーは、あらゆる電気音響のPA用に開発されたもので、ラジオ並みの小音量はともかく、オーディオ並みの大音量でも、低音が被ったり子音がキツクなったりせず、そのままの状態で増幅してくれる。AM放送の音声はFMのそれに比べて、明瞭な音声を保つため少し高域が強めに収録されているが、ここで、30cm単発でのトークの音を正常にしたところで、ツイーターを少し載せてあげるのが本来のHi-Fiのバランスだと思う。普段思っているほど低音は重量感がない代わりに、キックドラムとスネアのタイミングがばっちり決まるし、それでいてボーカルが沈むこともない。通常のオーディオがボーカル域の両端で調整するのに対し、ボーカル域だけの応答で自然なタッチを確保したうえで、両端の帯域に伸ばしていくのが良いのである。

 あと、モノラル耳というのがあって、これが育つまでに2年以上は掛かる。要は斜め45度=片耳だけで聴いているのではなく、反対の耳で部屋の響きを聴いている、という頭内でのレスポンス処理の問題で、結局、中低域を中心に体で聴くようになる。もちろん高域も聞こえてはいるのだが、こちらはほぼ直接音なので、聞いているが片耳でも、反対側のほうも頭のなかで勝手にミックスしてしまう。これで頭の中でリズムを刻むようになるのだ。リズムとは言っても、アタック音だけの問題ではなく、ストリングスが流れればそのボウイングを頭のなかで追いかける。このリズムの左右の交感が実に気持ちいいのだ。最近になってモノミックスした音をヘッドホンで試聴したら、高域が頭のなかをグルグル巡って頭内定位が全く気にならない。逆にステレオだと強制的に音が別々に聞こえて気持ち悪い。ステレオが判らなくなっているのだが、これはこれで良いのだと思ってる今日この頃です。


⑥ラジオっぽい音に磨きをかける
 ヤマハのミキサーは、カラオケ大会のようなPA現場に備えて、様々なエフェクターがオマケで装備されている。リバーブを掛ければ、1970年代の録音も1980年代の都会風に様変わりするし、そうした化粧によるテイストの違いを遊ぶこともできる。そのなかで意外に気に入ったのが、ラジオ・ボイスというやつで、750Hzの上下を切って、電話回線のような音を演出するものだ。このエフェクト音を元音に40~60%くらいで混ぜると、テレビっぽい中高域の張った音に様変わりする。面白いことに、これがオーラトーン5cとそっくりの特性になった。30cmもあるのにローファイ、それにヘッドホンよりスピードの速い低音の迫力が加わる。リマスター前の埃っぽいCDでも、歌謡曲らしいキラキラ感が増してくる。ボーカルの抜けも良くなり、ほんのり色気も増してくる感じで、これには本当に参ってしまった。

ラジオボイス・フィルターを100%掛けたときの特性


上記の特性を50%足した特性(30cmフルレンジ+10cmツイーター)


オーラトーン5cの特性(10cmフルレンジ+小型箱)

 理由については、良く聴くと高域がシュワシュワ、低域がボワボワと、切れているはずの帯域で位相の乱れたノイズが入る。このノイズがFM音声特有のエンファシスと三角雑音のような音となるのだ。通常のイコライザーだと持ち上げた領域だけ強調されてキンキンするのだが、ラジオボイスは少しオマケが付いてきて周囲の中高域のハーモニクスを曖昧にする。その乱れが音声レベルと連動しているので、ボーカルの音量に合わせた心地よいコンプレッションに感じるのだ。結果的にはボーカルの抜けの良さを示す2kHz付近の押し出しが良くなり、歌手にピントが合って背景がボケるという昭和風のピンナップ写真のようになる。
 逆にバックバンドの押し出しが弱くなるので、ロックだと迫力が出ないでこじんまりする。この辺がエフェクター音のウェット加減を40~60%で調整することで、ボーカル~バックバンドの比率を調整できることになる。

 ちなみにノーマルに戻すと、以下のようになる。これだと普通のニュートラルな録音に対応できるが、スイッチひとつで上記のローファイ対応に変わるので便利だ。

ラジオボイスを切った状態でのノーマルな特性

 まさかのローファイ・コントローラーの登場と相成ったわけだが、これで歌謡曲が輝いていた時代のテレビの音を取り戻せた。

⑦結果論
 フィックスドエッジ・スピーカー、真空管バッファアンプ、モノラル・ミックス、ラジオ・ボイス・フィルター、と思うままに繋げていった結果、歌謡曲で聴きなれたテレビっぽい音をスケールアップすることに成功した。結果的には、高級オーディオの目指す低歪み、広帯域とは全く異質の、ローファイで高歪みというシステムになった。昔ならラジカセ1台で済んだものを、これだけ色々なノウハウを投入して、やっと手に入れた宝物である。

 結局、私がシカゴブルースの大御所ジェンセン爺さんから改めて聞いたのは、ロカビリーの誕生から存在する肉体的な衝動である。心情風景ばかり描いていると思っていた歌謡曲から、この衝動を聴いたときには、正直とまどったのである。心の奥底に秘められた思いが歌となってほとばしるとき、肉体的にも呻きもだえる、そういう瞬間に多く出会うようになった。1970年代の歌は、そういう肉体的なもだえを直接言葉にすることに恥じらいがあったので、見落としていたといっていいだろう。もはや人生の奥まで再生する稀有な音響システムだと自負している。


【がんばれ歌謡曲】


 女性歌手のみを色々と集めてみたが、同じ時代の空気を吸っていながら、ジャンルを超えた全く個性的な歌が集まった。ちなみに私自身はアナログ盤は面倒なのでCDしか聴きません。あしからず。

トワ・エ・モア ベスト30(1969-73)

このベスト盤は、シングルAB面をリリース順に並べて収録しており、アルバムとは違ったアナログっぽい音質を伝えている。とかく歌謡フォークと揶揄されながらも、ボサ・ノヴァのテイストをいち早く取り入れた洒脱な雰囲気が魅力のデュオ。白鳥英美子のクリーミーな声はともかく、芥川澄夫が意外に低い声なので、近接効果で胸声が張り出すときがあり、倍音がしっかり伴わないとデュオの魅力が半減してしまう。低音のスピード感の弱いスピーカーは不自然に感じてしまうだろうが、Jensenはこの辺のバランスが巧みだ。
恋人もいないのに/シモンズ(71年)

大阪出身の清潔さ1000%の女性フォーク・デュエット。有名な表題曲のほかに、瀬尾一三、谷村新司が曲を提供するなど、この時代にしか為しえない贅沢な布陣で2人をバックアップしている。録音はジャケ絵そのままの「お花畑」状態のソフトフォーカスで、マンシーニ風の甘いストリングス、ポール・モーリア風のチェンバロまで登場する。このエコー感タップリの音場は、今のステレオ機器で聴くと、ボーカルは奥に引っ込み、直径1mを超えるビックマウスになるという、とても初歩的なところで躓いてしまう。当たり前だがモノラルでは、この難所を軽々と乗り越えてしまう。そもそも喫茶店風の風合いが得意な組み合わせであるので、これはこれで耳が自然に受け入れてしまう。
アドロ サバの女王/グラシェラ・スサーナ(1973,75)

当時は外タレとも言っていた外国人歌手。アルゼンチン出身のグラシェラ・スサーナは、一年に数人しかいない選ばれた存在である。歌唱力が日本人離れしているのは当前として、力で押し負かすのではなく、「誰もいない海」で魅せる静謐な歌い口は、むしろ日本人以上に日本語の美質にあふれている。このアルバムは優秀録音の典型で、アコースティック系のバンドの心憎い好サポートも相まって、どのシステムで聴いても深く破綻のない音が聴ける。しかし、Jensenのようなビンテージ設計のフィックスドエッジの俊敏な反応は、過剰なほどの緊迫感をもって迫ってくる。
GOLDEN J-POP/THE BEST 山口百惠(1973~80)

ともかく、ただのアイドルではとどまらない役者ぶりが、百恵ちゃんのすごいところである。女子中学生からツッパリ女、シックな女性へと変化を遂げたのは、実にアッパレ。改めて聴くと、CBSソニーのNEVEコンソールの音質と、百恵ちゃんの低音寄りの声とが微妙にマッチして、さらにバックバンドの奮闘ぶりがゴージャスな歌謡曲に花を添える。生ドラムがさく裂するようになればシメタモノである。百恵ちゃんの声は、オーディオでは意外に再生の難しい声のひとつで、胸声が目立ってモゴモゴ言って奥に引っ込むときがある。この辺をバランスよく抜け良く再生できると、他の歌手でも大抵うまくいくという試金石でもある。
ゴールデンベスト/八代亜紀(1974~81)

演歌の女王として君臨した、昭和の名歌手のテイチク時代の録音集。1枚目がベスト盤、2枚目がカバー曲集。独特のハスキーで男っぽい節回しは、今も健在の美貌とのギャップが、すごい存在感となっていた。ずいぶんとベテランのように思っていたが、実は上記の百恵ちゃんと同じ時期に被っている。この辺りが昭和歌謡のパラドックスなのであるが、古賀政男風の伴オケがいかにも昭和の赤ちょうちん街を演出する。2枚目のカバー曲集が歌のツボを押さえた名唱揃いで、実際の巡業リサイタルでもリクエストに応えていたのかと思うような感じで楽しませてくれる。
40/40ベストセレクション/テレサ・テン(1974~94)

有線の女王として君臨したアジアの歌姫。テイチク時代の艶っぽい声から、トーラス時代の軽い歌い回しまで、2つの時代を収めている。特に再生の難しいのは、絶頂期にあったトーラス時代で、伴奏に電子音が多い典型的なカラオケ・サウンドで、時代がかっていてスピーカーの癖が出やすい。さらにボーカルのニュアンスが500~1,000Hzに薄く分布している独特なコントロールで、全く力むことなく自然に曲の輪郭を出してしまう。テレビの歌番組ではもっと異様で、他の日本の歌手が「心をこめて歌う」のに必死なのに、全て左脳で計算されつくされた完璧なコントロールで歌いきってしまったこと。有線でのヒットは、天井スピーカーという音響的な制限のなかでも、音をかなり詰め込んだ結果のように感じる。300~2,000Hzという帯域でのクオリティで勝負が決まるという、オーディオ的には最も厳しい条件になる。音量を大きくすればするほど、ラジオ・ボイスのミックス量を増やして自然になる(ようするにバックバンドの音を抑えないとダメ)という不思議なサウンドである。
Singles/中島みゆき(1975~86)

ポプコンからスタートした日本を代表する女性シンガーソングライターだが、これはキャリアの前半のシングルを集めたもの。最後の「やまねこ」あたりはJ-POPに差し掛かるが、ほとんどの録音は、いわゆるラジオっぽい音で終止する。しかも声も歌詞も暗い影が尾を引いているとなると、ほとんどの人はテープ&ラジカセで聴いてたほうが幸せと思うだろう。この辺の戦略の立て方が、歌手本人の迷いにも現れていたとも思うのである。結果からすれば、別にラジオっぽい音でもいいじゃない、という開き直りで良かった。




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