20世紀的脱Hi-Fi音響論(シーズンオフ・トレーニング)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「モノラルで古楽だってさ」は、ジェンセンの安物ワイドレンジで古楽の世界に突進するドン・キホーテのような日常を書いています。
モノラルで古楽だってさ
【古楽器の20世紀】
【ありえそうでなかったもの】
【モノラル指南】
冒険は続く
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


モノラルで古楽だってさ

【古楽器の20世紀】

 クラシックにおける古楽器の普及は、1950年代からはじまり、第二次世界大戦で荒廃したヨーロッパ文化について、もっと根源的な問いがなされたのが最初です。単なるオーセンティックという意味だけでなく、真にヨーロッパ的なものとは?という問いかけです。
 第一次ブームは、戦前から中世音楽に興味を抱いていた、オルフ、ヒンデミットなどの作曲家のもと、バッハ以前のバロック音楽の上演から始まりました。例えば、ヒンデミットが指揮したモンテヴェルディ「オルフェオ」の上演には、アーノンクールなど次世代の古楽奏者が参加しており、ドイツとオランダから発したムーヴメントが1960年代に開花したものです。レオンハルト、クイケン兄弟、ブリュッヘンといった名手が方々から集まり、一種の楽派のような体裁が整いました。続いてイギリスで、カウンターテナーのデラー、古楽器マニアとも言えるマンローなどにより、中世・ルネサンス音楽の造形が深まることになります。さらにフランス勢ともなると、クレマンシック、ヴェラールなどが古代から中世まで遡り、音楽史というジャンルの形成に欠かせない存在ともなりました。
 第二次ブームは1980年代からで、イギリスを中心に18世紀風の古楽器オーケストラが盛んになり、オーセンティックという言葉が定着しました。そして古楽器の奏法研究と楽曲理解は、切っても切り離せないものとして論じられるようになったのです。ロンドン、ユトレヒト、ミュンヘン、バーゼル、ボローニャなど、古書を蓄蔵する大学や研究所が古楽を専門的に教えるようになり、学究的な情報も日に日に更新されていく状況になっています。

 さて、これらの古楽器ブームとオーディオ技術は密接な関係にあります。それは、音楽を出版する際には、楽譜と演奏が対になってはじめて理解されるものとなったため、レコードも出版事業に加えられたからです。第一次ブームより前から始まっていたグラモフォン系のArchivも、標本のような素直な録音でしたが、第一次ブームの台風の目になったTeldec、Seonは共にテレフンケンから派生したレーベルで、メリハリのある高音質な録音で古楽器とは何か?という興味を引き起こすのに十分なものでした。
 さらに第二次ブームを牽引したオワゾリールはデッカ傘下のレーベルで、単に楽器の音だけではなく、演奏する会場と規模という問題を想起させることで、古楽器の演奏形態にまで踏み込んだのです。時代はデジタル化の方向にありましたが、古楽器は残響音や余韻というSN比がもろに効いてくるものに対し、デジタル化の恩恵を受けたのでした。またデジタル録音は位相の狂いが少ないという意味でも、音場の定位感などの再生について議論が深まったのです。

 ここで古楽器再生に要求されるオーディオの機能性を上げると
@広帯域でフラットな再生
A位相の正確なステレオ再生

ということになります。

 ところが、1980年代にはこうしたことを巧く再現できるスピーカーが少なかったため、多くの録音エンジニアはSTAX社のコンデンサー型ヘッドホンを使用していました。そのほうが、古い教会やお城というロケーション型の録音には最適だった、という実際的な理由もありますが、マイクで拾った音を忠実に再生するというのは意外に難しいのです。ひとつの理由は、オーディオの発展史と関連があり、いわゆる周波数レンジの拡大路線が定着する一方で、高次倍音の特徴的な癖を強調することで、それらしく聞こえるようにするという、オーディオ機器に特有のテクニックも備わってきました。ところが、古楽器にはそういう特徴を知る手がかりが少ないのです。通常よく聞くヴァイオリンの音ではなく、1700年代のレプリカという紹介をされると、それがどういう音の特徴があるのか?ということの情報が極端に少なくなります。それは実は録音時点からそうなのであって、現場で実際に耳で聞いた音でさえ、ロケーションの違いまで加わってくると、聞いている場所によっては、それが唯一の正しい判断材料にはなりません。ステレオでのミックスさえも人工的なものなのです。

 ここで古楽器演奏の再生方法で問題となるのが、ロケーションによって楽器の聞こえ方が違い、その癖がスピーカーと合致しないと、本来の演奏の意図が聞き取れない、という強迫観念が生まれることになります。普段はそれとなく聞いていればよい古楽器演奏でも、まじめに聴き込もうと思うと案外、基本的な問題にぶつかるのです。これに関する万全な回答をもっている人は結構少ないし、あきらめて演奏会場に向かったほうが良のいかもしれません。そもそも生演奏とオーディオを一緒にみること自体がナンセンス、という昔からある答えに行き着くのです。しかし、それでは半世紀以上も積み重ねてきたレコードの出版事業そのものを否定することになります。電子音から自然にかえれということで、まずは良かったのでしょうか?



【ありえそうでなかったもの】

 ここで私なりの反証ですが、@広帯域でフラットな再生、A位相の正確なステレオ再生、という2つの課題をリセットしましょう! という提案です。その答えは楽器用スピーカーでモノラル再生

@楽器用スピーカーという選択
 まず、楽器用スピーカーというと、誰もがエレキギターやシンセサイザーのように七色の音を出すと思いがちですが、本来は高次倍音(分割振動)を多く出すというものです。Jensenのギターアンプ用スピーカーを使ってみて判ったのは、ボーカルと弦楽器との相性の良さです。1947年に開発されたこのユニットは、ジャズバンドのなかでとりわけ音量の小さな楽器であるボーカルとギターの音を増幅して、ホーンやドラムに対抗させるというものでした。そのために通常のオーディオ機器では不足しがちな、倍音成分を強調して再生する機能が備わっています。つまり、マイクで収録した生音をその場で料理して艶やかに聞こえさせるテクニックは、Jensen社のギターアンプ用スピーカーが最初のオリジネーターだったのです。それによって、繊細なクルーン唱法、スライド奏法などが、表舞台に出ることになったのです。
 何よりもこの古い設計のユニットが良いのは、低音から高音まで粒の揃った反応です。低音がブカブカで高音がソリッド、という従来のオーディオ的グラマーの定義とは一線を置いています。Jensenの場合は、低音がソリッドで高音がその補助に加わる、という楽器本来の倍音の出方が踏襲されているのです。この辺の違いに納得できるのは、楽器を身近に聴いている人、つまり演奏者の立場でないと判りづらいものがあります。つまり、楽音を準備するときの諸動作がはっきり聞こえた後に、楽音が響くという順序が正しく再生できています。結果は、表面的にグラマラスな音の強調ではなく、演奏の骨格がはっきりするような再生です。

 以下はモノラル再生機材です。CDプレーヤーの出力をモノラル・ミックスし、中華デジアンで増幅し、Jensen C12Rとエレボイ 205-8Aを後面解放箱に入れた自作スピーカーをバイアンプで鳴らしています。


 周波数特性は中域の程よい盛り上がりとシルキーな高域が特長です。

Jensen C12RElectro-voice 205-8Aの特性(斜め45度からの測定)

 ところで、これらのユニットは設備PAという分野の汎用スピーカーでした。Jensen C12Rは公民館で使うような過般型PA、エレボイ205-8Aは天井埋め込み型の構内放送用のものです。どちらもボーカル域を中心に明瞭に再生するように設計されました。このため音被りを防ぐために低域はあまり出ず、子音の周波数である2〜5kHzに独特なキャラクターがあるというふうに、現在のHi-Fiの理屈から離れたところにあります。通常の周波数特性ではフラットでも、高次歪みで高域に輝きを与えることで、音の輝かしさを演出する手法が取られています。1kHzのパルス波の計測では、実音よりも15dB高い3次高調波(デジタルアンプの性質上出てくるもの)が盛大に出ていて、かなりブライトな音調であることが、データからも判ります。こうした性質から、ギターアンプ用としての活路を見出したとみるべきでしょう。


C12R+205-8Aでのパルス波応答(1kHz波)



Aモノラル再生のための3つの主題
 ここで、古楽録音の流派ついて紹介すると、ドイツ系の近接マイクでキッチリ収録するタイプ、イギリス〜フランス系のホールの残響音を多く取り入れるタイプ、とに大きく二分されます。これは単純に世俗音楽と教会音楽との二つの伝統に分けることができます。例えば、バロック音楽と言えば基本的には世俗の器楽曲を指すことが多く、ルネサンス音楽と言えば教会でのモテットやミサ曲という印象が強いのは、そういう系統で録音が紹介されてきたからです。しかし、ステレオ録音でのオーケストラ、器楽曲、声楽曲という振り分けで発展してきたオーディオ技術ですが、古楽の録音ではこうした技術をリセットすることで新規性を狙った面があります。つまり交響曲は室内楽のように緊密なアンサンブルを強調し、声楽曲はエコーたっぷりにカテドラル風の音響を強調するようになったのです。
 こうした流れに対しニュートラルに対応するために、音色と音場の正確な再現というオーディオの課題を、一度リセットする必要を感じたのです。
そこで、古楽をモノラルで再生するために、a)室内楽、b)シンフォニー、c)教会音楽、という3つのシチュエーションについて考察してみました。

a)室内楽
 モノラルでの再生ですが、多くの人はステレオでないと音場感が出ないと思っています。しかし、古楽器録音の半数以上は室内楽、つまり離れたところから収録するロケーション型ではなく、ジャズと同じような近接マイクに会場の残響を織り交ぜたような録音です。かえって、後で混ぜたロケーション特有の情報が表に出ないほうが、録音間の癖が出にくいのです。その分、本来の演奏に集中できるというものです。

 最も判りやすいのが、S.クイケンのバッハ無伴奏で、旧録音のギスギスした音に霹靂とした人も多かったことでしょう。しかし実際は、バロック奏法の歌いまわしの明確さでは、旧録音のほうがまさっています。これもモノラルで試聴すると、背後の残響音と楽器の余韻とが時間的な奥行きとして分離するので、そのタイミングを待って歌いまわしを微調整していくのが判ります。つまり、エコーを広がりではなく時間差として認識することで、楽器のなかの共鳴音と外から跳ね返るエコーとの違いが、モノラルならすぐに判るのです。こうして聴くクイケンのバッハ無伴奏は、イタリアバロックの奏法をバッハが再構築したポリフォニックな音楽構造が浮き出てくるのです。面白いのは、この構造主義をシゲティの録音で聴いてみると、ポリフォニックな線の違いをデフォルメしていることが判ります。シゲティはヨアヒム門下のロマン派の末裔と思われていますが、実はバッハ無伴奏を復活上演した張本人であり、1955年の録音は米国バッハ協会がレオンハルトなどと並んで選任したものでした。この辺のオーセンティック以前のバロック解釈のツボが改めて理解できるのです。


 有田正弘がデンオンで録音したテレマン四重奏曲も、フランスの残響の多い教会堂でのワンポイント録音という珍しいロケーションで、通常のステレオ試聴だと、トラヴェルソの音像が膨らみ、チェンバロが細くなる、という一般的な近接録音とは逆の演出に聞こえます。実はガンバを自由にさせるため、チェンバロは通奏低音を一手に引き受けるわけですが、この辺の構造的な支柱が判りにくいのです。モノラル試聴だと、全ての楽器の音像が平等になり、楽曲のもつ構造がよりはっきりします。かといって残響音が不足するということもないのです。最も大きな違いがあったのは、ジュリアーニのギター協奏曲で、ステレオだと18世紀ギターの貧弱な響きを、オーケストラが覆いかぶさってかき消してしまうという悪循環に陥るのですが、モノラルだと音像の小ささが解消されるため、本来のバランスがスッキリと現れます。おそらくヘッドホンだと問題のないものですが、ステレオスピーカーだと音像の違いが致命的になりやすいのです。

ベルリンのフリードリヒ大王の宮廷コンサート
(すぐ話しかけられるほど近い場所で聴いている)

 モノラルでの古楽録音の成果は
@残響音が楽音の背後に分離するので本来の奥行き感が出る
A音像の大小に関わらず楽音を平等に再生する

これらを通じて演奏家の実体を聴き込むことができる、というものです。


b)シンフォニー
 問題を古典派のシンフォニーに移すと、バロック奏法の波が押し寄せることで、より室内楽のような傾向が強く押し出されるようになりました。最初に古楽器オーケストラを聴いた人の感想は、従来のオーケストラに対し音響的に貧しいというものでした。一方で、音楽が機能的でキビキビしているという利点もあり、古典派音楽の演奏には、古楽器のもつデュナーミクのコントラストが欠かせないというものでした。これらのことを総合すると、古楽器オーケストラの特徴を生かす録音は、室内楽的な乾いた響きであるという解釈がでてきます。もちろん、ロマン派時代に膨れた人員をしぼって、より緊密なアンサンブルを作り出すという狙いもありますが、それだけではモダン楽器の室内オーケストラと違う側面を見逃しがちになるのです。それは、自然に響き合うというシンフォニー特有の原理と、音楽本来のエモーションとで均衡のとれた作品像の提示です。

 このように室内楽的に緊密な音楽を奏でるように方向性をもった古楽器オーケストラですが、18世紀当時は教会でもシンフォニーは演奏されていました。つまり室内楽が発展してシンフォニーになったという進化論的な系図ではなく、そもそも音がよく響く場所でシンフォニーは発展したのです。音楽の初等教育機関だったイエズス会などの修道会などは、ボヘミヤ楽派からウィーン楽派への発展を促しました。イタリア、フランスといった当時の二大勢力の楽譜を無料で提供し教えたのです。ヴィヴァルディを有名にしたのは、赤毛の司祭の異名のとおり、女子修道所の私設オーケストラがヴェネチアの祝典外交に組み入れられたからでした。ヘンデルのオラトリオさえ、ロンドンの劇場でスタートしましたが、真の成功は捨子養育院の子供たちを総動員したチャリティーコンサートによってでした。演奏場所は、パイプオルガンが西壁中央に設置された学内礼拝堂です。その子供たちは、教区の教会で聖歌隊を構成し、パイプオルガンの周囲に集まり礼拝堂の一角を占めていました。そうした実態を抜きにして古典派は語れないのではないでしょうか? コンサート会場での芸術鑑賞という枠組みから外れないかぎり、鳴り響く音楽としてのシンフォニーの真の姿は判り辛いのです。

 
左:ヴェネチア 聖ピエタ女子修道院、右:ロンドン Foundling捨子養育院の礼拝堂
(近代的な四角い会堂、天井の高い音響はコンサートホールの原型となる)

 ここで古典派のシンフォニーに焦点を当てると、単純に室内楽的で機敏なことだけではなく、それが響き合うという特質を満たさなければなりません。伝統的なステレオの語法だと、機敏さを表現するときには、残響を抑えて音像を絞ることが行われてきましたが、実は古楽器オーケストラにはそれが通用しない。つまり豊かな残響音があっても、音の焦点がぼやけない、という相反した特徴をそなえなければなりません。ここでモノラル再生に立ち戻ると、音像のシャープさは維持しながら、エコーは単純に後追いするだけなので、このふたつの響き合いが同時進行するのです。
 このことはステージに立って演奏したことのある人には判るのですが、一度手元から離れた音は、ホールから跳ね返ってくるまでに少し遅れてきます。なので響きのなかに音を放り投げるようにモーションを掛けた後に、ホールの残響がスルスルと付いてくるのです。ちょうど長いフリルのウェディングドレスを引きずって一歩一歩足を蹴りだす感じです。意外にスタスタ歩かないと、ドレスの裾を踏んでしまうことでしょう。このように古楽器オーケストラの機敏性とは、響きのなかで絶えずうごめく状態であり、引き締まった音像とは全く異なることが判ると思います。これを音場の違いではなく、エコーとのタイミングの駆け引きの違いとして表現することがモノラル再生の極意なのです。

 モノラルでの古楽器オーケストラの再生は
@楽音と残響音が時間差のみで表現され、楽音の響き合う構造が判りやすい
A残響音の大小に関わらず、楽器の音の芯は失われずに明瞭に聞こえる

というものです。音場の二次元的な表現よりも、単純な時間軸のみのパレットのほうが適切に思います。


c)教会音楽
 ロケーション型録音でもっとも難関と思われる教会音楽をモノラルで試聴する件については、これは音場感さえあればそれで良しとする風潮を否定することから始まります。例えば、バーゼル・スコラ・カントルムの聖歌録音を例にとると、写本研究の成果と一緒に録音が行われるため、脚色の少ないニュートラルな演奏が求められます。一方で、歌唱法の研鑽も日々行っているため、その方面の変化についても、それなりにウォッチしてないと10年経つと全く解釈の異なることも少なくありません。こうした状況を聞き分けるのに、ロケーションの違い、音場の再現というバロメータは、たまたまそのときに録音会場に選んだものであって、他の会場で演奏すれば違うように聞こえる、ということは当然のこととして織り込んでいます。つまり、聞くべきは写本から何を読み取り演奏に生かしているかの骨子であって、ロケーションの吟味ではないのです。これを聖堂らしい響きの再現に終始すると、案外モヤモヤな理解で終わることが少なくないのです。実際に違いが判りづらく地味なので人気がありません。最新録音を1枚持っていれば十分と考えるのが普通でしょう。しかし、ここが教会音楽の落とし穴なのです。
 さらに演奏の違いを聴き比べるため、中世パリのノートルダム楽派に耳を傾けてみましょう。古くはマンローの演奏から、ヒリヤード・アンサンブル、ビンクレー/バーゼル・スコラ・カントルムなどを聴き比べると、演奏の違いよりも、その録音方針の違いに驚くでしょう。マンローのそれは演出が巧みで古典的な名演と言われますが、ヒリヤードは残響の海のなかで神秘性を強調、ビンクレーはミサに典礼劇の要素を取り入れるため演奏の場に応じて遠目のマイク設置で収録します。実は演奏を聴くという意味で、三者の録音はステレオ音場では違いが大きすぎて、対等な比較が非常に難しいのです。そして古典的なオーディオに馴染みやすいマンローを推す声が勝ってしまうのです。これはオーディオ装置の機能として全くいただけません。
 ではモノラルで試聴するとどうなるか?というと、ビンクレーの録音で問題となるのは、音像の小ささとダイナミックレンジの低いことですが、モノラルでは音像の小ささは単に音量の小ささとなるので、音量を上げても音像が肥大することはありません。残響は自然で、骨ぽさが強調されることはない。かえって声が明瞭で芯を保っていて、通常ミサのオフィシャルな聖歌を歌う僧侶と、専門の歌手による奉献のためのモテットの違いも明確になるのです。最も肝心な演奏の理解ですが、マンローの解釈がノートルダム楽派をカルミナ・ブラーナと同様の荒くれ者の時代としているのに対し、ビンクレーの解釈はアベラールやベルナールのような知的で神秘性も兼ね備えた人々が、カロリング・ルネサンスのなかで独自の典礼文化を展開したことを証明しようとしています。つまりスコラ学の基礎のうえに、典礼の神秘性が成り立つことを、より時間をかけて体験させようとしているのです。これが古典的なステレオの音像に騙されると、本来聞き取るべき演奏の実体を見失うことになるのです。この時点ではっきりするのは、同じ教会音楽でも、最近のローケション主導の録音は、通常のステレオ装置に向けた音響的なデフォルメを否定しているため、オーディオ装置がもつ機能にミスマッチが生じるということです。


左:ノートルダム大聖堂の屋根にいる怪物、右:クレルヴォーのベルナール

 モノラルでの教会音楽の再生は
@残響音のなかに楽音が埋もれることがない
A音像の大小と音量の大小がリンクしない

これらによって、聖堂内での演奏者のパースフェクティブが強調されるあまり、肝心の演奏が判りにくいという現象を回避できるのです。これは豊かな響きのなかでも、声が明瞭で芯を残している実際の音に近いものでもあります。ハイレゾで超高域を強調しても、こうした効果には限度があります。




Bモノラル再生のまとめ
 ここで楽器用スピーカーでモノラル化して聴くことの意義をまとめると、以下のようになります。

@楽音と残響音を、音場の広がりではなく、時間軸の違いでとらえなおす
Aロケーションの違いが出やすい音像の大小を、音量の大小で整理する
Bマイクで拾ったままの生音に、倍音成分を付加して艶やかさを強調する


 ステレオ技術で養ってきた、音場感、定位感、フラット再生というものが、実は人工的な音響技術であり、そういう技術のできる以前に設計された楽器用スピーカーから得られる情報は、スピーカーが生楽器と対峙した時代の名残をとどめている点で、とても興味深い結果となりました。



【モノラル指南】

 2012年頃からか。勉強机の脇にモノラル専用フルレンジを置いて以来、オーディオはモノラルでしか聴いていません。最初は装置の可能性を探るべくモノラル音源を掻き集めていたのですが、病も終局に達してステレオ音源もモノラルにして聴くあり様。モノラルでの再生は苦手だと思っていた古楽器の録音も何のその、結構聴きまくっています。この病をどう説明すれば良いのか?

 そもそもモノラルという用語は、ステレオ(またはバイノーラル)に対するネガティブな言葉です。音に広がりや色彩がない、質素で堅いイメージが付きまといます。映画のサラウンドが当たり前になるなかで、2本のスピーカーだけで再生なんて修行のように感じるかもしれません。モノラル再生ともなれば仙人あつかい。しかし、巨大なSR装置が立ち並ぶコンサート会場もほとんどはモノラルが基調であり、モノラルという言葉には別の捉え方が必要になると思われます。

 1本のスピーカ−でのモノラル再生を、私はあえて点音源拡散音響(One Point Spreading Sound)と呼んでみようと思います。以下の図は、点音源の現実的な伝達のイメージです。モノラルからイメージする音は左のような感じですが、実際には右のような音の跳ね返りを伴っています。私たちはこの反響の音で、音源の遠近、場所の広さを無意識のうちに認識するのです。風船の割れる音でたとえると、狭い場所で近くで鳴ると怖く、広い場所で遠くで鳴ると安全に感じるのです。


左;無響音室でのモノラル音源 右:部屋の響きを伴うモノラル音源


 こうした無意識に感じ取る音響の質は、左右の音の位相差だけではないことは明白です。つまり、壁や天井の反響を勘定に入れた音響こそが自然な音であり、部屋の響きを基準にして録音会場の音響を聞き分けることで、音響の違いに明瞭な線引きが可能となるのです。この線引きが必要なのは、視覚的要素がない音の近さ広さというのが曖昧なためで、おそらく録音しているエンジニアも時代や国柄によって基準がそれぞれ違うと思われます。例えばデッカとフィリップスのウィーン・フィルの音の違いなど、求める物や表現の手段としてステレオ感が存在するようになるのです。
 モノラル三昧の結果、私なりに理解したのは、人間はエコーを広がりではなく時間差として認識していることです。例えばバロック・ヴァイオリンの楽器内の共鳴音と外から跳ね返るエコーとの違いも、モノラルならすぐに判ります。その差の最も大きいのは倍音の質で、楽器の共鳴音は倍音が大きく鋭く入り、エコーはふわっとして丸いのです。また聖堂内で響く単旋律聖歌も、ステレオだと仮想音像が定まりにくく残響音の後に言葉が乗るように聞こえるのですが、モノラルだと響きが包み込むなかで芯のある声が出てきます。これはマイク設置そのものの時間差を正確に出しているからで、これを聴くと、単旋律聖歌は、音程もさることながら、かなり抑揚をコントロールしないと、残響音とのハーモニーが崩れて濁ることが判ります。
 つまり、クラシック音楽にとってエコーは不可欠であるが、自然現象のように定まったものなので、演奏家のほうでコントロールするタイミングを図って音を奏でている、という当たり前の結論が浮かび上がってきます。モノラルだと、この対話が時間差として明瞭に再生されるので、演奏の手法が手に取るように判るのです。これは演奏家の脇に立って同じ視点にたって聴くような感じになります。逆にステレオは、演奏会場での構図をパースフェクティブに眺めることを優先するので、なかなか個々の演奏家のディテールに近づくことができないのです。古楽器のディテールを掴むため、多くに人は高域に繊細な表現を求めますが、この方法は音色の違いを描き分けるだけで、もっと低い帯域にある音楽のエモーショナルな部分を聴き取ることができません。実は古楽器の奏者が最も大事にしているのは、この帯域での表現なのです。

 
18世紀の宮廷コンサートは基本的に楽器の近くで独占的に聴いている

 これは古典派の作曲家が口を揃えて言っているのですが、チェルニーがピアノ協奏曲の理想的な聞き方として、指揮者を兼任するピアニストの後ろに座って聴くことと証言したり、ディッタースドルフ男爵が弦楽四重奏を楽しむ最良の方法は、客のいない部屋で担当パートを入れ替えながら聞くことであるといったこと、そしてC.P.E.バッハなど多くの作曲家がピアノやチェンバロよりもクラヴィコードを好んで、指の感覚を交えて音楽を楽しんだこと、などが挙げられます。
 私として知りたいのは、演奏者のパフォーマンスそのものなのですが、ステレオ的な表現とは、空間表現というフィルターを通じた録音エンジニアの意見をまず聞かなければならない、というオチになるのです。天ぷらのコロモをはがして演奏家の本来のテイストを知ることが必要なのです。本当は天ぷらも中身の旨みを包み込む方法なのですが、コロモが大きくなって中身が小さいエビ天も少なくないのです。そこでステレオの化粧を洗い流して、素顔の演奏者と対峙する方法として、モノラルという選択肢はどうでしょうか?


 では、ステレオ音源のモノラル化はどのようにすればいいのでしょうか? 最初からモノラルで収録された音源に関しては、そのままとして、ステレオのモノラル化はこれまで色々な人が悩んできたことです。以下にその方法を列挙すると

  1. 変換コネクターなどで並列接続して1本化する。
  2. プッシュプル分割のライントランスで結合する。
  3. ミキサーアンプで左右信号を合成する。

 このうち1の変換コネクターは、一番安価で簡単な方法だが、誰もが失望するのは、高域が丸まって冴えない、音に潤いがない、詰まって聞こえるなど、ナイことずくめで良い事ないのが普通。この理由について考えてみますと

  1. ステレオの音の広がりを表す逆相成分をキャンセルしているため、響きが痩せてしまう。
  2. 人工的なエコーは高域に偏る(リバーブの特徴である)ため、高域成分が減退する。
  3. ステレオで分散された音像が弱く、ミックスすると各パートの弱さが露見する。

 2のライントランスでの結合は、この辺の合成がコネクタよりはアバウトで、逆相の減退を若干抑えることができます。一方で、ムラード反転型回路が出回って以降は、ラインレベルで分割するトランスはほとんど生産されなかったため、かなり古いトランスに頼らなければいけないのです。つまり状態の良いパーツは高価だし、相性の良いものを見つけるまでに断念することが関の山なのです。

 そこで、第3のミキサーアンプでの合成ですが、これも左右の信号を単純に足し合わせるだけでは、あまり意味がありません。左図のように、左右の信号の高域と中域のバランスを互い違いにして混ぜることで、上記の問題はほとんど解決されることが判りました。高域と中域のバランスを、±6dBで左右互い違いにする方法で、擬似ステレオの反対の操作である。仮にこれを、逆-疑似ステレオ方式と呼ぶ事にしましょう。
 2.5kHz付近は音のプレゼンス(実体感)をコントロ−ルし、10kHz辺りはアンビエント(空間性)を支配する。1970年を前後して、この空間性が著しく発展し、かつEMTのプレートリバーブなどでブリリアンス(光沢感)も加えるようになったため、この帯域抜きでトーン・バランスをとることが難しくなっています。人工的なリバーブは逆相で打ち消しあうので、高域がカマボコに聞こえるのです。さすがにデジタル録音以降の古楽には人工的なリバーブはご法度ですが、アンビエントの補助マイクは暗騒音の多い低音はカットし、高音のブリリアンスを豊かに聴かせる方法を取ることでしょう。こういう要素を入れないとそれらしく聞こえないスピーカーが多い以上、付き合わなければならないのです。10kHz辺りのアンビエント(空間性)が全体のトーンがサウンド・バランスと密接に関わっているので、単純に左右バランスを崩すと、全体のトーンが少しおかしくなるようです。そこで左右の中高域のトーンをずらすことで、モノラルにしたときの交通整理をしてあげると、見通しの良い音に仕上がります。
 もうひとつは単純なモノラル化は、中央定位させる中低域のバランスに隔たって、全体に下腹の膨らんだ中年太りのようなバランスになります。このため、低域を両chとも下げる必要があるのです。

 ちなみにモノラルの聞き方は、スピーカーの正面ではなく、斜め横から聞くのが正式な聞き方。かつてのモノラル再生はどうだったのか? 録音現場を見てみましょう。



レスポールの自宅スタジオ
 まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようですが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。正面配置ではなく、横に置いて聴いています。
 同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、BBCスタジオにも見られます。

605Duplexでモニター中

BBCでのLSU/10の配置状況


 以上、モノラル化するメリットを挙げると

  1. 試聴位置での音像の乱れがなく、好きな姿勢で聴ける。
  2. 音の骨格がしっかりして、楽器の主従関係が判りやすくなる。
  3. 楽器の出音とエコーがよく分離して、楽器のニュアンスが判りやすくなる。

 これらの効果は、音楽の表現がより克明になる方向であり、ステレオ効果による雰囲気に流されないで、演奏家が格闘する姿も炙り出すようです。どの演奏も切れ込みがよくなるが、かと言って雰囲気ぶち壊しというわけでもない。優雅さも十分に表現できるが、それを保持するときの演奏者の緊張の入れ替えが脈実に伝わるのです。では、モノラルでいけないワケは、どこにあるのだろうか? 実は何もないのです。演奏家のパフォーマンスを表現するにあたって、モノラルで十分。いや、むしろモノラルであったほうが良いことも多いのだと、あえて言おうじゃないですか。


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