20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「モノラル復権」は、フルレンジでモノラル・システムを構築したのち、悟りの境地に達した状況をモニターします。
モノラル復権
【モノラル宣言】
【最初は気軽なつもりが】
【モノラルという造語】
【スピーカーの配置】
【モノラル化の仕方】
【トラウマと共に】
【最近のモノラル事情】
冒険は続く
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


モノラル復権

【モノラル宣言】

 ここに、家庭用スピーカーを、賑わいの道具として見直し、モノラル化することを宣言する。

    【基本理念】
  1. 音楽で賑わいを造り出す条件として、「話題性」「娯楽性」「団欒」がある。「話題性」は現在のところネット情報端末が優勢であるが、音楽を独占するためのパーソナル向け製品が多く「団欒」の形成には向かない。複数の人でおしゃべりや食事をしながら音楽をシェアしたいというニーズには応えられない。
      

    音響装置による「賑わい」の違い

  2. スピーカーを、室内の賑わいを盛り立てるもう一人のパーソナリティとして捉えなおし、人間と同じサイズの胴体と口をもったスピーカーが最適であると考えた。胴音は30cmギターアンプ用スピーカー、口音はホーン型スピーカーへ割り振り、人間の発音形態を自然に再現できるようにした。

       

    胴体と唇をもったスピーカーの概念図 (ごめんなさい、フィッツジェラルド様)

  3. 人間と同じサイズのステレオ装置(2ch)は、コンサートホールと同様に演奏者側と観客側に部屋を分断し、室内音響を一方的に支配する。室内でのパーソナリティは、話し手と聞き手という対等な立場をもたせるために、一人称のモノラル再生が適当である。ステレオ音源をモノラルにミックスする方法は、擬似ステレオ化と逆のイコライジングを施すことで、高音がこもらない見通しの良い音になる。

    通常のステレオは賑わいを囲い込み
    音響スペースには逃げ場がない



    モノラルの音響
    適度な隙間・一人分の主張

            
           

    逆-擬似ステレオミックス

  4. モノラルとすることで、30cmクラスのスピーカーでもコンパクトに設置できる。回転イスのキャスターを付けると、部屋の中の移動や向きの調整が容易になる。スピーカーの指向性は10kHzで90度あり、部屋のどこに置いても明瞭な音が聴ける。テーブル、ソファなど主要な家具のレイアウトを優先し、スピーカーを好きな場所に置いてみよう。左右の限定がないので寝転んで聴いてもかまわない。

    正面特性


    45度オフセット特性

     
    モノラル=自由なレイアウト

    【具体案】
  5. スピーカー・ユニットは、音楽の骨格となるボーカル域の再生に優れたものとして、1947年から製造され、Rock-ola社のジュークボックスにも使用されたJensen C12Rを選択した。ベーシックなペーパー・コーン製で、歴史ある既存マーケットが存在するため、生産が安定しており廉価である。エンクロージャーは後面解放型とし、低音をあまり強調せずにボーカル域の反応を俊敏にした。これに5kHzからホーンツイーターを加えて高域のバランスを取っている。これもジュークボックスと同様の仕様である。
  6. モノラルアンプは高級嗜好品なので、普通のステレオアンプをモノラル・マルチ駆動に使う。このことで、動的なインピーダンスの変化に強くなり、アタック音にいたるまで安定したレスポンスが得られる。
  7. ライントランスを入れる効果は、サウンドの密度、リズムの粘り、ボーカルの吹き上がりなど、ダイナミックな傾向に効いてくる。サンスイ・トランスは1957年から製造し続けているラジオ用トランスの老舗で、ボーカル域を中心に周波数帯域を整えて、その他の帯域は高次倍音で艶やかに彩ってくれる。
  8. 音楽の骨格となるボーカル域が明瞭なので、古い録音から最新のものまで幅広く楽しめる。大きなサイズの割りに重低音は出ないが、明瞭でありながら懐の深いボーカル、低音から高音までスピード感のそろったドラムなど、このサイズのスピーカーでしか出ない味わいがある。低音がこもらないのでラジオのトークが自然で楽しめる。



【最初は気軽なつもりが】

 ともかくも、書斎でラジオのように聞き流せるモノラル・システムが欲しかった。最初の動機はこうだったのだ。そこで昔1本だけ買ったロクハンを勉強机の脇に置いたのが運の尽きだった。男の隠れ家のように、個人的なモノが増殖していく。CD、書籍、そのときそのとき興味のあるものが、次から次へとうず高く積まれていく。
 そして、オーディオ機器も、サブシステムだからと最低限のものと思った清貧の思想もどこへやら、盆栽のように手を加え続けていると、いつのまにやら愛情が湧いてくる始末。そのうち九本の尻尾が生えてきて、不思議な魔力でも発揮するのではないか? と疑うようになる。いや、実際、取り憑かれているのだ。それも半世紀以上前の音楽家たちに。

 これまで格闘してきた録音郡を挙げると、以下のようになる。
  • 戦後ドイツのモノラル放送用クラシック・ライブ録音
  • モノラル期のEMI、グラモフォンのクラシック録音
  • 1950年前後のテープ録音機導入にまつわる録音品質の断絶
  • 戦前アメリカのラジオ用録音(ジャズ、クラシック、ボードビル)
  • 1960年代前半のポップス録音(ブルース、ロック、ガールズ・ポップ)
  • 1960年代後半のブートレグ・ライブ録音(ロック、R&B)
  • 1950年代の懐メロ〜歌謡曲
  • 1970年代の歌謡曲
 これと反対に、誰が聴いても良いと感じる名録音は…
  • 1950年代のブルーノート(モダン・ジャズ)
  • 1960年代のRCA、キャピトル(ポップス)
  • 1970年代のグラモフォン(クラシック)
  • 1970年代のA&M、CBS(ポップス、ソウル)
 こうしたオーディオ・ファイル向けの名録音の影に、誰もが悪い音と感じる演奏の多いことも確かだ。そして悪い録音の演奏に限って、時代の節目に大きな意味をもつものが少なくない。なぜならオーディオ的に予測し監理できる常識を打ち破ってきたからだ。オーディオ的に整っていないからと、折角の機会を聴き逃がす理由はないのである。
 こうした理由からか、私自身にオーディオで良い音を聴こうという姿勢はなく、悪い録音にファイトを燃やしていると言っても過言ではない。しかしこれらは、ひとつのジャンルだけでも制覇するのが難しいツワモノ揃い。それをオリジナル盤を1枚も持たないで、CDと格闘しているのだから、最初から負け戦なのは承知のうえ。さらに、これらをひと括りにしてモノラルで再生する、と言っているのだから、さらに具合が悪い。結局、ミイラ取りがミイラになったような感じだ。

 現行システムは、まさに勝手に増殖する雑草のようなもの。あれこれジャンク品を寄せ集めて組み合わせたシステムは、脈略のないロードムービーのようなものである。以下に、その迷走ぶりを列記すると…。
  • ステレオ録音もモノラル化して試聴したいのと、最低限のイコライザーが欲しかったので、小型ミキサーでCDの音を受けるようにした。
  • 音調をビンテージ風にするため、1950年代のPAマイク用トランス、1920年代のラジオ用段間トランスを挿入した。
  • ロクハンと真空管ヘッドホンアンプの組み合わせでは出力が足りないので、コンプレッサーを噛まして小音量でも聴きやすくできるようにした。
  • スピーカーにエレボイ Baronetを導入し、ささやかなバージョンアップ。
  • 聴いてる時間の長さを勘定にいれ、メインシステムからCDプレーヤーをサブシステムに移動。
  • やはり出力が足らないので、アンプを中国製デジタルアンプに交換。
  • ドイツ製ラジオスピーカーを裸で鳴らし、Baronetのツイーター替わりにした。
  • 30cmワイドレンジ+10cmサテライトスピーカー(いずれも現在製造中の新品)という組み合わせでモックアップを試作。これが実質的にバージョンアップとなった。
  • ミキサーをベリンガーからヤマハの製品に取り換えた。
  • チャンデバを使ってマルチ化。ツイーターをホーンドライバーに差し替え、アンプをデノンのプリメインにグレードアップした。
  • UTC製トランスの代替品として、サンスイ・トランスのトランジスター回路用トランスを使用。昭和30年代からの隠れたロングセラー品。これに合わせ、ツイーターを元のフルレンジに戻した。
現況のモノラル”サブ”システム




【モノラルという造語】

 2012年頃からか。勉強机の脇にモノラル専用フルレンジ(エレボイのバロネット)を置いて以来、オーディオはモノラルでしか聴いていない。最初は装置の可能性を探るべくモノラル音源を掻き集めていたが、病も終局に達してステレオ音源もモノラルにして聴くあり様。モノラルでの再生は苦手だと思っていた古楽器の録音も何のその、結構聴きまくっている。この病をどう説明すれば良いのか?

 そもそもモノラルという用語は、ステレオ(またはバイノーラル)に対するネガティブな言葉である。音に広がりや色彩がない、質素で堅いイメージが付きまとう。映画のサラウンドが当たり前になるなかで、2本のスピーカーだけで再生なんて修行のように感じるかもしれない。モノラル再生ともなれば仙人あつかいである。しかし、巨大なSR装置が立ち並ぶコンサート会場もほとんどはモノラルが基調であり、モノラルという言葉には別の捉え方が必要になると思われる。

 1本のスピーカ−でのモノラル再生を、私はあえて点音源拡散音響(One Point Spreading Sound)と呼んでみようと思う。以下の図は、点音源の現実的な伝達のイメージである。モノラルからイメージする音は左のような感じだが、実際には右のような音の跳ね返りを伴っている。私たちはこの反響の音で、音源の遠近、場所の広さを無意識のうちに認識する。風船の割れる音で例えると、狭い場所で近くで鳴ると怖く、広い場所で遠くで鳴ると安全に感じる。

左;無響音室でのモノラル音源 右:部屋の響きを伴うモノラル音源

 こうした無意識に感じ取る音響の質は、左右の音の位相差だけではないことは明白である。つまり、壁や天井の反響を勘定に入れた音響こそが自然な音であり、部屋の響きを基準にして録音会場の音響を聞き分けることで、音響の違いに明瞭な線引きが可能となるように思う。この線引きが必要なのは、視覚的要素がない音の近さ広さというのが曖昧なためで、おそらく録音しているエンジニアも時代や国柄によって基準がそれぞれ違うと思われる。例えばデッカとフィリップスのウィーン・フィルの音の違い、同じボブクリのミックスした「アヴァロン」と「ボーン・イン・ザ・USA」のサウンドの違いなど、求める物や表現の手段としてステレオ感が存在するようになる。
 私として知りたいのは、演奏者のパフォーマンスそのものなのであるが、空間表現というフィルターを通じた録音エンジニアの意見をまず聞かなければならない、というオチになる。このときムジークフェラインで演奏すれば名演になり、テンモニ(ヤマハのNS-10Mモニタースピーカー)でミックスすればヒットするという別の方程式が浮かび上がる。今さら誰もそんなこと信じてはいないのだが、業界のマーケティングがそうなりやすかったのは事実で、天ぷらのコロモをはがして演奏家の本来のテイストを知ることが必要に思っている。本当は天ぷらも中身の旨みを包み込む方法なのだが、コロモが大きくなって中身が小さいエビ天も少なくないのである。

 そこでモノラル復権である。ステレオの化粧を洗い流して、素顔の演奏者と対峙する方法として、モノラルという選択肢はどうだろうか? 



【スピーカーの配置】

 モノラルスピーカーには、由緒正しき聞き方がある。それは斜め45度 から聴くことである。


レスポールの自宅スタジオ
 まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようだが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。今では常識的な正面配置ではなく、横に置いて聴いている。
 同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、BBCスタジオにも見られる。つまり斜め横が正しい方向なのだ。

605Duplexでモニター中

BBCでのLSU/10の配置状況


 では、スタジオ以外の普通の人たちはどうかというと、やはり斜め横である。これは私が愛用しているエレボイのバロネットの場合。

 ちなみにオーディオ批評家で有名な瀬川冬樹氏の1961年のリスニングルームもまた、伝説の斜め45度試聴。Axiom 80くらい高域が強くなると、このくらいが適当だし、聴いている距離からすると、小音量派だったのかもしれない。




 この聴き方の元にあるのは、ラジオを囲んだ団欒にあることが判っている。誰も正面に陣取って音を独り占めしてはいけない。そしてラジオの脇にソファ置いてくつろぐのが、紳士のたしなみである。ビング・クロスビーだってそのように聴いているではないか。

高級電蓄を聴くビング・クロスビー
当時の典型的なリビング風景

パーティーでラジオを囲む
前に立って独り占めしてはいけない

 以上より、モノラルスピーカーを聞くための配置は、正面になってはいけない。ということはHMVのニッパー犬の聴き方はあまり良くないと言えよう。このことで直接音と壁の反射音とのブレンドを簡単に調整できるのだ。それに加えて中高域のキツイ(プレゼンスの高い)ユニットでも、指向性で音を和らげることもできる。つまり反響音のブレンドと指向性の調整で、音響の調整が自在になる。

 指向性の調整とは、例えばエレボイのSP8Bというサブコーン付フルレンジの場合、正面から聞くと3.5kHzをピークに+10dB持ち上がっており、かなりプレゼンスが高い。しかし、45度ずらして聴くと、ほぼフラットに推移することが判る。古いスピーカーの多くは、反応のキビキビした音を志向しているが、ややもするとじゃじゃ馬のように手を付けられないほど暴れることがある。しかし、少し聴く向きを変えることで、イキの良いところは残しつつ、コンビプレーまでこなす、名プレーヤーともなりうる。

正面)エレボイ SP8B


斜め45度)


 音の反応が良いというのは、実は音の遠近感の表現が巧みなことも示す。音がタイトで締まっているという以外に、余韻の再現にも優れていることが多いからだ。アンプの制動力によっても違ってくるが、ステレオ表現とは違う方法で、遠近感の表現は可能である。

 ちなみにロクハンの周波数特性は以下のとおり。正面特性は、意外にエレボイの特性と似ていたことに驚くが、斜め45度になるとやや大人しい感じになるようだ。ここら辺が、音の張り出しの違いに現れてくると思われるのと、PE-16Mが1970年代のステレオ収録を意識した設計と考えられる。

正面)パイオニア PE-16M


斜め45度)


 ここで、何を血迷ったか、エレボイの小型フルンレンジ205-8Aをツイーターに据えて、中低域にギターアンプ用のJensen C12Rを後面開放箱に入れて一緒に鳴らしてみた。ネットワークなしで繋いだが、これが実に良い感じなのだ。しかしまぁ、耳のバランスとは恐ろしいもので、偏屈なシステム構成のようにみえて、実際の試聴位置(伝説の斜め45度)で計測しても、10kHzまでフラット。普通のステレオであれば、指向性やルームアコースティックなどを勘定すれば、かなり高域が強めである。でもモノラルだから成立している。


Electro-voice 205-8Aの裸特性


Jensen C12Rの裸特性

Jensen C12RElectro-voice 205-8Aの特性(斜め45度からの測定)


同上の構成で正面の特性(これだけみるとかなり高域寄りである)

 あれほど中高域のラウドネス効果が良いと主張してきたものが、完全に骨抜きになっている。通常のステレオスピーカー(正面でフラット、斜めからだとカマボコ)と比べると、高域寄りの特性になっていて、これでステレオのように囲い込まれると、スカキンな音で部屋が充満して逃げ場がなくなるだろう。一方で、過度の高調波歪みまでは一致していないので、音の立ち上がりなどに中高域のキャラクターは残っていると思う。ここでは、Jensenのパツッと乾いた中低域と、旧Altecの肉厚の中高域がブレンドされ、そのハーモニー感が良いらしいのだ。まだまだ理屈では判らないことが多いが、それもこれも怪我の功名と考えてそのままにしている。
 フラットなのは150〜8,000Hzと、まさに蓄音機なみ。70〜150Hz、8〜12kHzはオマケである。最近の5cmフルレンジだってこのくらいの特性はもっている。しかし、その中身はかなりリッチで、余裕しゃくしゃくのボリューム感である。考えてみれば、ステーキを食べるのに、50gと300gでは全然違うし、太もも肉を食べるのに毛のついた皮や脚の先の蹄までつける必要もない。そういうオーディオの料理の原則が、ここでハッキリしたといっていいだろう。
 さらにこれをバイアンプ、つまりモノラル信号をステレオアンプに突っ込んで、2chを各々のユニットに繋げるようにした。どっちもフルレンジなので、チャンデバもなしというお気軽構成である。これで音に粘りと深みが加わり、ソウル、R&Bでも濃い味がでてきた。ドラムがイキの良い魚のようにバシバシと跳ね上がり、ボーカルは滑らかで抜けが良いという不思議な組み合わせができた。



【モノラル化の仕方】

 モノラルに対してよくある意見に、「ステレオではないのが残念」という言葉を聞く。これはステレオだと良かった=ステレオ装置でモノラル録音を聴くということと同意語である。一方で、ステレオ用に開発されたスピーカーの多くは、4kHz以上の高域の指向性を絞ることで、ステレオ感を認識させる。一般にチャンネル・セパレーションと呼ばれるものだが、ステレオ感を保持させて両耳に音が届けるのに必要な手段だ。

      最近のステレオ用スピーカーの指向特性

 これを見て判るのは、Hi-Fiの要件を満たしながら、チャンネル・セパレーションを維持する、というステレオ録音の特異性が判るだろう。左右バランスの配分で高音にキャラクターをもたせた録音が良い録音になる。高音というとシンバルやバイオリンの音と誤解されそうだが、実際にはもっと高域の成分、シンバルを叩いたり弓が触れる瞬間のパルス音であり、あるいは楽器の音色を特徴付ける倍音の成分である。そこの情報を事細かに含むことを指していて、それ以外の音はモノラルと同様に収録されいる。これは逆相成分で広がりをもたせているため、単純にモノラルに混ぜて再生すると、逆相成分が減衰して高域も無くなる。これが残念な理由なのである。逆に、モノラル録音を最近のスピーカーで聞いても、音がどん詰まりで団子になって聞こえる。これは中央定位する位置での周波数特性が良くないからである。
 では、どのようにしてステレオ録音をモノラル化すればいいのだろうか?

 最初からモノラルで収録された音源に関しては、そのままとして、ステレオ音源をモノラル化する(ミックスする)にはどうしたら良いのか? これは色々な人が悩むことである。以下にその方法を列挙すると
1.変換コネクターなどで並列接続して1本化する。
2.プッシュプル分割のライントランスで結合する。
3.ミキサーアンプで左右信号を合成する。

 このうち1の変換コネクターは、一番安価で簡単な方法なのだが、誰もが失望するのは、高域が丸まって冴えない、音に潤いがない、詰まって聞こえるなど、ナイことずくめで良い事ないのが普通である。この理由について考えてみると
1.ステレオの音の広がりを表す逆相成分をキャンセルしているため、響きが痩せてしまう。
2.人工的なエコーは高域に偏る(リバーブの特徴である)ため、高域成分が減退する。
3.ステレオで分散された音像が弱く、ミックスすると各パートの弱さが露見する。
4.逆に中央定位する音は音量が大きく太った音になる。

 また、2のライントランスでの結合は、この辺の合成がコネクタよりはアバウトで、逆相の減退を若干抑えることができる。一方で、ムラード反転型回路が出回って以降は生産がほとんどされなかったため、かなり古いトランスに頼らなければならない。つまり状態の良いパーツは高価だし、相性の良いものを見つけるまでに断念することも多い。

 そこで、第3のミキサーアンプでの合成だが、これも左右の信号を単純に足し合わせるだけでは、あまり意味がない。そこで逆相成分の取り込みと周波数のバランスを考えてみた。

【B方法】逆-擬似ステレオ方式
 高域と中域のバランスを、±6dBで左右互い違いにする方法で、擬似ステレオの反対の操作である。1965年以降に4トラック・レコーダーが使われはじめた頃からの録音にも相性が良い。
 2.5kHz付近は音のプレゼンス(実体感)をコントロ−ルし、10kHz辺りはアンビエント(空間性)を支配する。1970年を前後して、この空間性が著しく発展し、かつEMTのプレートリバーブなどでブリリアンス(光沢感)も加えるようになったため、この帯域抜きでトーン・バランスをとることが難しくなっている。人工的なリバーブは逆相で打ち消しあうので、高域がカマボコに聞こえるのである。もうひとつは単純なモノラル化は、中央定位させる中低域のバランスに隔たって、全体に下腹の膨らんだ中年太りのようなバランスになる。このため、低域を両chとも下げる必要があるのだ。
 この時代になると、FM放送の恩恵で、段々とステレオ機材のグレードについて云々言われ始めたことで、録音のほうもそのグレードに見合ったものが要求されるようになった。ちょうどバンドの楽器を、オーケストラのように配置するようなことが始まった初期の段階になる。この場合は、全体のトーンがサウンド・バランスと密接に関わっているので、単純に左右バランスを崩すと、全体のトーンが少しおかしくなるようだ。そこで左右の中高域のトーンをずらすことで、モノラルにしたときの交通整理をしてあげると、見通しの良い音に仕上がる。

 モノラル化するメリットを挙げると
1.試聴位置での音像の乱れがなく、好きな姿勢で聴ける。
2.
音の骨格がしっかりして、楽器の主従関係が判りやすくなる。
3.楽器の出音とエコーがよく分離して、楽器のニュアンスが判りやすくなる。

 これらの効果は、音楽の表現がより克明になる方向であり、ステレオ効果による雰囲気に流されないで、演奏家が格闘する姿も炙り出す。どの演奏もかなり切れ込みよくなるが、かと言って雰囲気ぶち壊しというわけでもない。優雅さも十分に表現できるのだが、それを保持するときの演奏者の緊張の入れ替えが脈実に伝わる では、モノラルでいけないワケは、どこにあるのだろうか? 実は何もないのである。演奏家のパフォーマンスを表現するにあたって、モノラルで十分である。いや、むしろモノラルであったほうが良いことも多いのだと、あえて言おう。今どき古い録音が「モノラルなので残念」なんて感想をいだいてる人は、装置を改めて欲しいと存じます。



【トラウマと共に】

 これまで名演奏といわれながら、音質が悪く散々悩まされてきた録音がある。かれこれ30年以上も悩まされてきたのである。モノラルのサブシステムができたお陰で、かなりのシコリが取れてきた。
 以下はその手ごわい相手のリストである。自分でも飽きれるのだが、もう少し嗜好を絞ればまだやりようがあるものの、ともかく悪い音の録音が気になってしょうがないので、結局聞き込むことになり、愛情を注いでしまうのが悪い癖である。

マーラー第4交響曲/メンゲルベルクACO(1939年)

青年期に最初にトラウマに取り付かれたのがこれ。戦前の放送用録音で、アセテート盤へのダイレクトカットだが、ともかくモノトーンで音が悪い。なのに演奏はアイリスの花のようにどこまでも甘美。このギャップに悩まされたというかショックを受けた。何とか聴かねばならない。そう思い続けてきた録音である。
シューベルト第九交響曲「グレイト」/フルトヴェングラーBPO(1951年)

誰もが認めるフルトヴェングラー晩年の名盤だが、録音時期が微妙で、元はマグネトフォンの後継機種でのテープ収録だが、グラモフォンがSP盤からLPに移行する前年の録音で、大体は元テープの保存が効かないのでSP原盤を起こした時点で破棄される。おそらくLP化以降のテープは原盤のコピーだと思われ、基本的にナローレンジで収まっている。それなのに無理してイコライジングしているので、中域が薄くドンシャリに仕上げているのだ。同じ時期のEMIが、いかに名録音だったか身にしみる。
ゴルドベルク変奏曲/グールド(p) 1955年録音

クラシックの名盤のなかでも最も異色の演奏であり、現代のバッハ演奏の方法論を塗り替えた名盤。別名「グールドベルク」とも言われるくらいに独特の疾走感で弾き切るが、その音質たるや典型的なカマボコ特性である。おおよそピアノらしい音がしないうえに、うめき声まで入る始末。当時、ジャズ的な解釈と間違われたのもうなずける。
アイ・ガット・ユー /ジェームス・ブラウン(1966)

発売は1966年だが、表題曲が1965年にヒットしたのを期に過去の音源を集めてLP化したもの。最も古いもので1960年のものが含まれている。絶叫でマイクアンプを歪ませるのはお手の物。ともかくデジタルが一番嫌う音質である。
ビートルズ 1962〜66

通称「赤盤」。手持ちのはジョージ・マーティン監修CDである。まだリマスター技術が成熟してない時代のもので、自称オリジナルテープを元にイコライザーで高域を持ち上げただけでCD化。最初のラヴ・ミー・ドゥが鳴った途端に、パラレルワールドに迷い込む。その後は、セッション毎の音の違いに耳が行って、音楽に全く集中できない。おそらく楽器の位相などもバラバラなんだと思う。
追憶のハイウェイ61/ボブ・ディラン(1965)

これも1990年代のCDである。楽器の音を突っ込めるだけ突っ込んで混濁している。そしてディランのしゃがれ声。何もかもが汚れきっている。というか、最初に聴いたときは、わざと汚くしているとしか感じなかった。これが時代を変えたロックの名盤だというのが、なかなか理解できなかった。
ザ・タイガース 1967-1968 -レッド・ディスク-

GSブームを牽引したザ・タイガースの赤盤。ビートルズの後に続けと、ともかくチャラチャラしたサウンドで収録されたので、イミテーションの度合いも強く、飽きられるのも早かった。同じ時代の歌謡曲と比べても、中域の深みがないので、特に現代の最新スピーカーでは、さらにチャラ度が増幅されるだろう。
オペラ座の夜/クイーン(1975年)

ロック史に輝く名バラード、ボヘミアン・ラプソディーを含む、ブリティッシュ・ロックの名盤である。一方で、多重録音を重ねた結果、各トラックは押しなべてコンプレッサーで潰した音になり、全体にセコセコした音になりやすい。ロックで迫力が出ないのは致命傷で、歪みを許容しないCDでさらに状況は悪化した。ベスト盤で聴いても、初期のアルバムはこの傾向が強く音圧も浅い。
Singles/中島みゆき 1975-86

75年「アザミ嬢のララバイ」から86年「やまねこ」まで、ポニー・キャニオン時代のシングル盤20枚40曲を新しい順から回顧していく3枚組。デビュー当時はフォーク色が強かったので、随分前から活動しているように思えるが、ブレークしたのは1979年のオールナイト・ニッポン出演以降で、実はJ-POPサウンドの真っ只中で活躍した新しい世代のシンガーソングライターになる。特にシングル盤は、LPのようにセッションを練る間もなく、アイドルと同様に自転車操業で先行発売するのが常だったので、インストはデジタルシンセで代用というのも当たり前の録音も見受けられる。ここで1980年代のオーディオで聴くと極端に音痩せを起こす。この点は、同世代のユーミンが豪華なバックミュージシャンに支えられていたのとは大違いであるし、ソロデビューが1年差のイルカと比べても活躍期が入れ違いで時代感覚のずれが目立つ。AM深夜放送という1970年代風の印象と重なるアナログ録音期に人気が集中するのも何となく判る気がするが、御乱心の時代を経て、ともかく歌い続けることで状況を打破してきたタフさが、彼女の魅力のひとつであるのも事実。その複雑怪奇さをどう受け止めるかでも、聞こえ方が違ってくると思う。
バッハ無伴奏バイオリン・ソナタ&パルティータ/クイケン(Vn)1981年録音

古楽器を使用した演奏では、最も初期に成功したもので、古楽器演奏の金字塔ともいえる。問題は極端なオンマイクで収録した結果、おおよそ潤いというものがない。シゲティ盤と並んでストイックな録音に数えられ、スピーカーの癖がモロに出てすぐに悲鳴をあげる。20年後の再録音のときは逆にライブな録音になり、これも物議を醸し出した。

 さて、これらを一緒に聞くなど、あまり良い趣味とはいえないだろう。しかし不思議なもので、100〜8000kHzを偏愛した1950年代のユニットで固めたモノラルで聴くと、全ての辻褄が合ってきた。
 このスピーカーの要は、以下の通りである。
  • フルレンジによりボーカル域のレスポンスが自然で均一なこと
  • 上のフルレンジはサテライトスピーカーとして残響音を振りまく
  • モノラルなので時代感の出やすい音場の違いが気にならない

Jensen C12RElectro-voice 205-8Aの特性(斜め45度からの測定)

 今回の要点は、デジタル化で際立つようになった高次ひずみを抑えて、なおかつレンジを伸ばす、という相反した特性の成就である。これは30cmワイドレンジで受け持つ基音に対し、10cmサテライトで高次倍音を補足することで、音の主従関係を時系列的に整理したことによる。弦を弾いてサブハーモニックスが響くという順序が自然に再現され、高音だけで音色を描き分けるというアクロバットな芸当をやめた。



・マーラー第4交響曲/メンゲルベルクACO(1939年)
・シューベルト第九交響曲「グレイト」/フルトヴェングラーBPO(1951年)
・ゴルドベルク変奏曲/グールド(p) 1955年録音

これらがどういう再生システムを想定して録音されたかというと、当時の家庭に必ずあった電蓄とAMラジオである。そのサウンドのルーツは、ライス&ケロッグがダイナミック型スピーカーを開発した時期に遡る。戦争で生き別れになったが、いずれもコロンビア系列のややくぐもった音が基調になっている。そして、これらが放送された頃、復刻された頃を通じて、ドイツ製フルレンジは同じ規格で製作されている。中高域に過度的な分割振動を伴うピーキーな音である。

Rice&Kellogg社OEMのダイナミック型スピーカー(1927年 独AEG社)

ただ、全てダイレクトに再生すればいいかというとそうでもなく、1950年代には残響音をうまく引き出すように、ラジオでも高域を拡散する方法がとられた。

ドイツ製ラジオの3D-klang方式(中央のメインに対し両横に小型スピーカー

今回のシステムでは、裸で鳴らした小型フルンレンジがサテライトスピーカーとして機能して、音の立ち上がりと残響音をうまく取りまとめてくれた。弦の音に注目しがちだが、木管のプリッとしたふくよかさが出てくると、オケの色彩感が見えてくる。ピアノの天井の高さもサテライトスピーカーで演出してくれる。

・アイ・ガット・ユー /ジェームス・ブラウン(1966)
・追憶のハイウェイ61/ボブ・ディラン(1965)

これを一緒に扱うのは異論があるかもしれないが、こちらは中域が先行し高域に倍音が伸びる自然な音響により、デジタルで強調された雑味がクリアになった例である。両者共に尖がった印象をもつが、聞こえてきたのはアットホームなアンサンブル。なんだか喧嘩した後に仲直りしたみたいな感じである。そして悪いことは俺が何でも引き受けてやると言わんばかりの、思わずアニキとでも呼びたくなるようなボーカルの存在感である。

・ビートルズ 1962〜66
・ザ・タイガース 1967-1968 -レッド・ディスク-

これも一緒にすると怒る人も多いと思うが、あまり批評めいたことを避けると実に楽しい音楽であることが判る。分割振動を多く出すスピーカーで、中高域がキラキラ輝いている往時の音が蘇ってきた。そしてフィックスどエッジの押し出しがハッキリしているので、音の推移がスタッと決まって気持ちがいい。この2つが両立していないと、何となく過去をひきずるセピア色に押し込めることになる。生ドラムがキチッと決まり、ボーカルのシャウトが吹き上がると、アイドルではないロックバンドの音そのものである。ライブでは当時の人の熱狂も一緒に再現できている。
オペラ座の夜/クイーン(1975年)

この録音が難しいのは、本来の帯域が15kHzまでの狭い帯域におさめていること、そしてダイナミックレンジの狭さである。この2つを解決するのは意外に難しい。古いフルレンジはギターアンプ用スピーカーと同じように、強い分割振動で倍音を補い、音の開放感が生まれる。低音と高音のタイミングが揃うことで、音の見通しがよくなり、音楽のうねりが見えてくる。この開放感とうねりがロックなのだ。
ちなみにブリティッシュ・ポップのマルチタレントぶりは、ケイト・ブッシュ「魔物語」、ロキシーミュージック「アヴァロン」でも健在で、これらもモノラルで十分楽しめることも付け加えておこう。基本動作が押さえてあれば、ラジオ音域でも十分にフレッシュな音が聞けるし、当時はまだラジオやMTVで味見してからLPを購入ということも多かった。その方法を等身大に拡張したら、本来のインパクトがみえてきた。
Singles/中島みゆき 1975-86

普通なら当時流行った日本製3wayスピーカーを構えると思うが、J-POP特有の音痩せばかり目立って全体にまばらな印象になる。これをテレビ相当まで音質を苛めると、何とも言えない香りがただよってきた。昭和の臭いである。同じ時代のアイドルとは違い、テレビ出演を頑なに断ってラジオで対決していた、こだわりの音がこれである。
ボーカルはどこまでもクリーミーで、バックバンドがじゃまをしない。みゆきさんの歌い口は、一度回りの音を聴いてから言葉に出すタイプなので、声として出てくるタイミングをバンドの音がじゃまをしやすいのだが、これはフルレンジの功績でレスポンスの均一さが役にたっている。口のなかで言葉を転がす感じが実に快くでてくる。それとデジタルシンセの音は倍音が少ないので、これも古い設計のフルレンジの分割振動が補ってくれる。
バッハ無伴奏バイオリン・ソナタ&パルティータ/クイケン(Vn)1981年録音

中域から高音まで出音のズレがないため、巧みなボウイングの妙技が聞こえるようになった。そして中高域の美しい音も一緒によみがえった。まごうことなきアナログ最期の緻密な音である。おそらくデジタル化する際に、10kHz以上の帯域にパルス成分が集中したのだろう。同じことはシデティの同曲盤にもいえる。まさに温故知新で、バイオリン奏法の比較が思わぬかたちでできるようになった。



【最近のモノラル事情】

 21世紀に入って、オーディオに最も影響の強いのは、インターネット音源の流通であろう。流通というより拡散というほうが正しいかもしれない。イヤホンによるパーソナル化は、カセットのウォークマンの頃から始まっていたが、i-podのそれは音源の流通速度が比較にならない。そして音楽産業のマーケティングの方法まで変えつつある。このような時代に、モノラル再生はどう受け容れられるのだろうか? 私は公私の隙間に、オーディオは着地点を見つけるのではないかと思っている。つまり個人がオーディオをコミュニケーションの道具として必要となるシチュエーションに、どうやって自然に溶け込むか、という課題と向き合う必要があるのだ。

 面白いのは、Hi-Fiの歴史に名を残す名スピーカーAR-3の開発者ヘンリー・クロスが、晩年に発表したTivoli Audio社のModel Oneだ。エアサスペンション方式の密閉型ブックシェルフに留まらず、ドルビーB型ノイズリダクションを最初に実装したカセットデッキ、プロジェクションTVの開発など、安価で手軽に高品質という庶民型のAV機器の先端を走ってきたクロス氏の終着点が、モノラル・ラジオであった点は非常に興味深い。ラジオの実力としては、ソニーのICF-EX5ほどの絶対的な信頼(こいつのAM放送に賭けた執念は半端ではない)はないが、音響機器としてのモノラル音声の品質に注目したこと自体がサプライズである。実に戦後のオーディオの歴史そのものを体現した人ならではの、深い洞察に満ちた製品である。21世紀にもなって、なぜ今どきラジオ?、しかもモノラルで?、こういうHi-Fi理論の常識を覆すような疑問とは裏腹に、その音には子供から老人まで魅了する説得力がある。フランスの子供が拡張用のアンテナをつなげて良い音で聴こうとする様子とか、ベテランのTVアナウンサーがラジオの歴史と一緒に紹介するのを見ると、このラジオの魅力が深いことが判る。もちろん、i-podのほうがオーディオ機器としての革新性は明白だが、Model Oneのようなアナログ機器が提示するシンプルな音響技術もまた、国際規準(ワールド・スタンダード)の正しい姿だと思う。

 もうひとつは、かのBOSEが売り出していた小規模ライヴ・パフォーマンス用の拡声器 L1 Model Tシステムである。もちろん、この手の小型SRは、カラオケ、ギターアンプなどがあった。しかしBOSEの面白さは、小型フルレンジのラインアレイで再構築し、点音源による自然な拡声方法を導いた点にある。BOSE博士といえば、901型スピーカーのように、残響8:主音声1という割合で再生するという独特の理論で知られるが、既に巨大SR機器で実績を積んだなかで、等身大のパフォーマンスに最適化したモノラルのラインアレイシステムに至ったのは、とても興味深いことである。つまり、従来のSRは演奏者の両翼にスピーカーを配置する面的な放射を意識して、響きで人を包み込むことを目指していたが、これに対し、L1 Model Tシステムは個人を取り囲む人の集まりを意識して、モノラル=タレント性の発現を導いている。これは単なる言葉のメタファではなく、モノラルがもつ求心性と広がりを巧く言い表しているように思う。

 このようにモノラル再生は、ラジオや街頭パフォーマンスのような、パーソン・トゥ・パーソンというコミュニケーション手段に適しているように思う。モノラルはパーソナリティがしっかり主張される骨格を与えられるのである。
 私が古いフルレンジスピーカーでのモノラル再生にハマったのは、電子楽器と共に始まったPAの創生期に誕生した音響技術を継承しながら、Hi-Fi技術への橋渡しをした時期にあたるからである。それはレコード音楽が公から私に移り変わる時期でもあり、両者のコミュニケーション方法が、まだ同じ土俵で議論された時期でもあった。このような大衆の音楽の私物化という願望を巧く取り込み、ビルボードのようなレコードの総合ランキングもまた、マスメディアとして大衆の連携を図っていたと言えよう。しかし、マスメディアの情報が失われた(流行が去った)後に残された録音をどう楽しむか? この課題を前にして、ふたたび演奏者のパーソナリティに触れる手段として、モノラル再生は今後も長く続くように思う。



 オマケは、サブシステムにみるオーディオ藁しべ長者の足跡。
●2012年4月:最初はロクハンと三極管アンプでシミジミ行こうと…



●2013年7月:アメリカン・ビンテージの世界に片足をつっこみ…

●2014年10月:メインのCDPをサブシステムに移し、中華デジアンも参戦し…



●2015年7月:ジェンセンのワイドレンジ、ヤマハ・ミキサーに鞍替えし…



●2016年11月:デノンのアンプ、エミネンスのホーンドライバーでマルチ化…



●2017年5月:ライントランスをサンスイ・トランスに交換して、全て新品でそろえられるようにした。



●2018年5月:ツイーターをFountek NeoCD2.0に交換して、晴れてリファレンス・システムに昇格。




 リビングで音楽鑑賞が不可能になって(追い出されて…)から、5年越しにシステムを増殖していったのでございます。お小遣い程度でも心はリッチな藁しべ長者。


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